保育

黒いバラが届いたら

えっと。。。

ブログの趣をちょっと変えさせて。。。というより

絞らせていただきます。

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それってどうなん

大学の時の先生に、カウンセラーの先生がいる。

自分も保育士やってて、燃え尽きて、色々あって、

その先に自分で見えるものがあって、それからカウンセリングの道に。。。

って、そんな感じだったかな

いい先生だったし、その癒しのオーラで心救われる人も多いんだろうと思った

まあ、私自身には肯んじ難いというか、それは自分を救うことにはなるけど、何かが折れることを意味するんじゃないかと思って、多分自分には受け入れられないものだとも思ったわけよ

で、

まあ、何の縁というか、今の同輩にそのカウンセリングに救われたという先生がいる

何年も保育士して、年長で頑張って、燃え尽きて。。。

その時に先生に出会って、道が開けたとか何とか。。。

でもね。。。なんかね。。。うーん。。。なんよ

乳児クラスで、手数は十分なクラス

とはいっても、乳児って、食事、排泄と、たてこむとかなりバタバタになる

さらに泣いて仕方がない子がいたりすると、ちょっと見、大混乱ぽくなる

で、

いっぱいいっぱいのクラスでは、

泣くのをなだめるのにあーだこーだ余計な声かけが多くなって、終いにはおやつを口に放り込んだり『なんで泣くの!』なんて声が飛んだり。。。

そんな職員の混乱とクラス全体の空気がシンクロして、てんてこ舞い。。。

先生は頭が痛いし、クラスはまとまらないし、個人の成長のサポートにも穴が。。。

そうして職員の『いっぱいいっぱい』が出来上がる

。。。で、カウンセリングでは、取り合えずすべてを肯定して、受け入れる

そこから心のゆとりが出る。。。みたいな

子どもが泣いてもいいんじゃない

子どもは20までには排せつもできるようになるから、今そんなに急がなくてもいいんじゃない

。。。まあ、もちろん、それをそのまま放置ということではないけど、いったんそこまで許容して、組み立てなおすみたいなことだと思うんよ

まあ、これは学生時代にも先生から習ったというか、雑談によく出てきたこと。。。

なんだけど、

その一緒にいる同輩、子どもが泣いてるのに対して

『泣いても自分は平気だよ』みたいな感じで。。。

それって、確かに自分は楽になってるけど、子どもはそれでハッピーなんかね?

基本は『泣いても笑っても、保育士はそれに寄り添ってあげたい。どうしようという意思を持たなくても、ただ寄り添ってあげる。そうすれば子どもは心を満たすし、職員は気負わなくていい』みたいなものなんじゃないかな~と。。。

多分、同輩はかなり気負って保育してきて、へとへとだったんだと思う。で、すがれるものができて、それで最悪の状態は脱して。。。でもそれは、自分が。。。で、

子どもからすれば。。。???

先生のカウンセリングの意味合いは、かなり意義深いもので、助かる人は多いんだろうけど、その後の道筋が必ずしもそれらしいとは限らないと。。。

先生も、やってて悩ましいところじゃないかな

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報讐雪恨

除州討伐の際、曹軍の旗印

父親を殺された私情によるこの進軍は凄惨を極めた。。。

まあ、その後もずっと、曹操が父の死をも利用して、前門の虎・袁紹を誘う為に都を開けたとか、

もっとひどければ、父親を極秘裏に殺したとか。。。

あだをほうじ、うらみをすすぐ:報讐雪恨

まあ、三国の印象的な一場面では、ある

******************************

で、、、

保育の話

ちょっと、珍しい切り口で、

まあ、知ってる人も多いけど、私の保育は、保育観は、ちょっと他と違ってる

まあ、基本は違わないんだけど、実務の上ではかなり特殊

そこにつながるための、思考プロセスが、まあ、特異と言えば、そうなのかも

なかなか、同じようなプロセスを踏む人間はいないだろうと、そう思っていた

が。。。

いたよ、いた

それも2人

それも女の子

一人は奔放だけど実は繊細、一見楽観的な思考プロセスは半端ない知識と見識に裏付けられてる

一人は温和で控え目、実は剛直。惑い、迷いの過程を経て結実のタイプ

ただ、この動と静の二つがちょうど私の思考プロセスの両翼だから、まあ、2人コンビでちょうど、ってとこ

それでも、まあ、ちょっとびっくりだったね

迷いのプロセスも半端ない無双の資質だったけど、その裏打ちのある奔放さは、正直私以外にもまだいたかってほどのサプライズ

無残にも開花できていない2つの資質だったけど、一緒に働いているうちに、いい具合に回り始めた

まあ、2つに別れてるんで、それなりに凸凹したりするし、暴走したりするし。。。

なんせ、私の心の葛藤が具現化してるようなものだから。。。

どうかな?って思っていたのは、2つの資質が女性であったこと

男性が隠れ蓑になることが多い私と違って、女性であれば、それがよく働くか、悪く働くか。。。

それは、今後のお楽しみ

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火中の栗

『起点0』と『0』の違いについては、前にも書いた

『0』をひと括りで考えることには、限りなく、本質の見落としがある

逆もある

『褒めて育てる子育て』は、持ち上げられて久しい

合わせて『怒る、叱る』はベストではないとの考えも、根付いてきた

しかし、この二つは同じベクトル上にあることを、きちんと認識できているだろうか

叱る、怒る、褒める

これらは、すべて条件付けというレールの上での話だ。

条件付けする側の価値観、それによる。

条件付けがいけないわけではなく、方法論としては、肯定するべきものである。

問題は、一方の条件付けには肯定、もう一方では否定

では、その境目は?

価値観が、人物、時勢などで動くのだから、

その境目はさらにグレーゾーンになる

保育の現場で、それを正して、子どもに伝えることができるだろうか?

この点を考えると、あるいは、あたらしい保育の道が見えるかも?

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名を惜しめ

つるバラのジャングルを切り開き、やっと、庭が整然としてきた

意外なことに、バロン・ジロー・ド・ランが鬼のように張り出してきている

ツーヤンフェイウーの横に、持て余して植えたショッキングブルーも、茨のような棘をむき出しにして張り出している

誘引にかれこれ3日ほどかけたが、まだ、手を入れなければならない

狭い庭なのに、つるバラがあるだけでこんなにも違うものか

春の花を楽しみに、今ひと踏ん張り頑張らねば。。。

┐(´д`)┌ヤレヤレ

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国の鼠

何度か紹介した『見守る保育』

このおじさんが提言してる。

賛同する保育園は多くはないが少なくもない。

拒絶する園もある。

色々理由はあるが、誤解も少なくない。

ひと昔前、『自閉症』がその漢字体から、今でいう『ひきこもり』と勘違いされたよう、

『見守る』ので、放任保育や自由保育と思われる誤解はかなりあると思う。

でもね

こういった他愛もない誤解は、まあ、それなりよ

タチが悪いのが、自分の都合の良いように、この保育を解釈する園。

えてして、保育業界が競争性を高める中で、差別化の題目としてこれを取り上げ、その実、都合のいいとこだけの張りぼて保育をしてるとこ、少なくないよね

熊本市では、公に『やってます、取り入れてます』ってとこが4園+1園

その+1園は導入検討中、もしくはちょっと勉強中ってとこ

4園の中には幼稚園が1つ含まれてる

まあ、仲良しグループで勉強中。。。ってのが建前だけど、実際は。。。。

愚僧の見るところ、これで『成功してるよね』って言えるのは1園のみ

それ以外は、、、、うーん、、、箱物保育実演中。。。

見守る保育の基本に、環境を通しての保育が挙げられ、時間、空間、物、人などを揃えるってのが謳われてるんだけど、それって目に見えやすいから、たいていはそこから用意するようになる。。。と思われる

クラス編成を変えてみました!!。。。異年齢で生活し、相乗的な成長を。。云々
で、これで、年齢による保育活動ではなく、習熟度別での活動が。。。云々
しかも、活動を選択できるように。。。云々

でもね、運営してる先生たちに聞いてごらんなさいよ

『自分の保育園に、自分の子どもを預けたいですか?』

『見守る保育って何ですか?』

『子どもって、どう変わっていくんですか?』

『それって、子ども楽しんでますか?』

『その方法での保育は、子どもの将来にどう影響するんですか?実際、そんな風に影響が出るような保育をしてるんですか?』

見守る保育には、もちろんその答えがあります。

『見守る保育』には

それをまねごとで箱物でやってる園では、まあ、プロパガンダの園長は何だかんだ言うでしょうけど、実際に運営してる先生たちが、それを理解し、説明し、実践できてるでしょうか?

それは、大変不幸なことに、できていないでしょう。

『0』と『起点0』の違いがわからない人間が、

罪と罰、条件付けと信賞必罰を感覚として理解できていない人間が、

それを包括する保育理念を眼目に、それ用の箱物を使っての保育なんぞ出来ようはずもない。。。と思うのです。

人は城、人は石垣、人は堀

保育も、また最後は『人』が大きな存在になってきたとき、環境要因の中核『人』を作らず、形や物ばかりを進めても、滑稽なだけでしょう

ついていけてない『人』が用意された箱の中で動くには、それなりの潤滑材が必要です

それがあり、かつ、人が育ちつつあると思われる園は、熊本には1園

残りは、、、先生たちの怖い顔、きつい顔疲れた顔が目に浮かびますわいな

このおじさんは、この窮状をどう思うでしょうか。

そもそも、見守る云々は、このおじさんが提言したものではあっても、在来の保育には潜んでいた考え方です。

このおじさんは、識あるものに滑稽に見られても、無知な人間に広めるために『布教』して回っているのでしょうか

それとも、周りが無知すぎて、結果担がれたのでしょうか

それとも、無知ではなく欲深な周りのため、金の仔牛として祭られたのでしょうか

いずれにしても、本来の意味とは違って解釈されたり、勝手にその基本理念を曲げられたりしては、迷惑な話でしょうに。

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ドン・シモジョウの保育の基本

これができれば、あなたもドン・シモジョウ・保育・ファミリー

1:基本は儒学。

2:悪者はすべからく滅すべし

3:一行二裏

4:戦術は戦略によってなる

5:順逆を知る

6:武器になるネタはとことん使う。出し惜しみしない。

7:子どもを通して親に働きかける

8:結果を見通せたら、手段を選ばない

9:結果を望むくらいなら、何もしないほうがマシ

10:仁智勇略信義の先生であれ。

何を偉そうに。。。って。。。まあ、そんなに言わないで。

あくまで、私的な。。。ってことで、スルーしてはいよ

なによりも。。。。

to be or not to be

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劇で『どろぼうがっこう』を演じる

題材としては面白いでしょうし、子どもたちもノリやすいでしょう。

が、

実際に台本から先になると、かなり考えなくてはいけませんね

まず、くまさか先生

これはダブルキャストでは劇としておかしいでしょうけど、セリフが多い上ほぼ出ずっぱりなので、人数は多く配置したいところです

他の生徒たちはトリプルキャストあたりでも無難に収まるでしょう

警察署は番兵と所長は一人ずつ配置で支障ないと思います

ストーリーテラーとして、フクロウと『私』の二人を配置し、その会話でストーリー説明をさせるのが、見ていても面白いと思います

問題は暗転の部分です

舞台の照明を落とせるなら、それでOKですが、多くの場合は、そんな設備などなく。。。

その上、鉄格子もどう表現するかです

大きな段ボールでつい立を作って鉄格子の枠をその真ん中に作って、

舞台ではその中に入って、声だけの演技→鉄格子から顔をのぞかせる→署長登場

こんなものでしょうか

ここがうまくいけば、楽しい劇になるでしょうね

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ももれんじゃー

私が前の保育園で最後の発表会の時、特に力を入れたのが『劇』

その前の年長の時、はじめてのことというのもあって、練習配分などを詰めて設定してしまい、ほかの先生に涙ながらに手伝ってもらったり、子どもたちの底力にからくも助けてもらった苦い思い出があり、それを払拭する思いも強くあった

それ以上に、子どもたちのまとまりがすこぶる良く、この子たちならばとんでもないものができるような気がして、楽しんでできた

演目は、実は一年以上前の年中の途中で決まっていた。。。といゆより、遊びでやっていた劇遊びで、半分冗談でおもな配役が決まっていた

演目・・・ももたろうベース

内容・・・ギャグ

子どもに伝えたいこと・・・舞台に立つ喜び、物事を完成させる喜び、笑ってもらう喜び

配役から一年

2月発表会で1月に入ってから稽古開始

実際は正月休みの最後の日の夜に台本を書きあげた。

おおよその流れは原作どおりに

BGMと歌を混ぜることを当初から予定していたが。。。問題は、どんな色に仕上げるか

全体をギャグにするために。。。

と夜中まで考え、方針が固まったのは日付が変わったあたり

ゴレンジャー、どらエモン、サザエさん、オペラ『魔笛』、天才ドロンボーをリミックスしてMIDI打ちで使用

ももたろうはトリプルキャストでヒーローもの風に

憎めない悪役『鬼ちゃんズ』を設定

スパイスとして、『もも』をギャグキャラで登場させ。。。

当初はストーリーテラーを別に設定するつもりだったけど、それじゃ面白みがないので。。。

また考えた

また、悪役を鬼だけじゃ人数がはけきれないので、悪代官と越後屋を登場させ、町娘の人間こま回しを。。。と予定していたけど、
『倫理上いいのか?』というところも、ネックではあった

子どもたちはすっかりその気で

『おぬしもわるよの~』とか
『よいではないか、よいではないか』・・・『あ~れ~』

なんて、おなじみのシーンを遊びでやってたりしたけど。。。

結局悪代官をカットし、鬼退治に協力する和尚さんに変更

小坊主と一緒に登場し、合わせてストーリーテラーに

町娘はいぬ、さる、きじをダブルキャストにすることに変更

エンドの部分を勧善懲悪からさらに一歩進めて

『鬼も一緒に仲良しになろう』で大団円に変更

台本書きは一時間で終了

翌日から練習に入った

もものギャグ炸裂、はっちゃけじいちゃんばあちゃんのおもしろトーク爆発

子どもたちから笑いが絶えなかったのを見て、作品成功を確信!!

後にも先にもない、名作が。。。完成。。。と
子どもたちと笑い合ったおぼえがある

オーソドックスな童話、昔話ほど、アレンジでものすごく面白くなるとおもう

元の話をみんなが知ってるからっだろう

みなさんも、どうですか?童話アレンジ。

*台本、ここに置いておきます。

 利用は自由ですが、、、、自己責任で( ̄ー ̄)ニヤリ

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ダンデリオン

もし気になるようなら

ダンデリオン

もう一つのブログを見てごらん

少しでも、心の慰めになればいいのだけれど

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フロリンダ、カルバナルはもうじきだ

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星が光っていた

少し涼やかな風が吹いて

はやる心を抑えて

アイロニー

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蔵倉

とぅ~び~ おあ のっと とぅ~び~
ざっつ ざ くぇすちょん

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ぱすとらーれ

今回はとっても思いつき演目『ヒゲなしゴゲジャバル』

昔、みんなのうたで見たのが、ちょっとしたときにフィードバック!

ペギーさんが歌ってるのも印象的

youtubeなどで内容確認してね

歌によし、内容にコミカルなセリフをあてて劇にも好し

どの役をやっても笑える主役になるので、主役選び云々も関係なし

ゴゲジャバルはわざとセリフなしのジェスチャーで笑いを取る難役にしてもいいかもね

ベースとして、子どもたちには『お客さんには笑ってもらってなんぼ』って叩き込むんよ

そうしたら、セリフ忘れたって、舞台でこけたって

万事OK

子どもたちに『笑ってもらって~』と諭したら、今度は保護者さん

笑ってあげて、舞台を盛り上げて。。。と煽りつつ

舞台の上がどれほど緊張するところで、子どもがどれほどプレッシャーを感じ、それを跳ね返す度量を身につけてきたかをアピール

どんな結果に転んでも、笑って抱きしめてあげて、褒めてあげるように促してあげて。。。

ここまで誘導できればまあ、上出来でしょう

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わらえ どうけし

一か月ぶりにミネストローネを作った

いつもどおり、いい味になってる

この前作った時のことを思い出した

・・・

まだ、待ちぼうけ

じいちゃんになっても、待ちぼうけかな

それでも、順逆から、待つしかないね

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芝居だと

逆上の中で

心が騒いで、何も手がつかない

それでもしなければならないのか

芝居を

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それでもお前は人間か

・・・お前は・・・道化師なんだ

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衣装をつけろ

白粉を塗るんだ

客は笑いを求めてるんだ

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アレッキーノがコロンビーナを奪っても

笑うんだ、道化師

それで客は拍手喝采さ

苦悩と涙をおどけに変えて

苦しみの嗚咽を笑いに変えて

笑え、道化師

その愛の幕引きに

笑え、心に刺さる毒の苦悩に

~『道化師』より、衣装をつけろ~

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合奏の練習方法

専門ではまったく音楽をやっていない保育士さんも多いと思います

おおよそ、子どもの様子を見て、園の伝統などを頼りに、合奏指導などはしていくのでしょう

ベースでリトミックや、メロディオン遊びができていれば、かなり楽にはなりますね

リトミックは、保育のどこそこに、メロディオンは週一入れられれば、まあいいほうではないでしょうか

リトミックは、よく『い・ち・ご♪ハイ』などと言葉復唱遊びから手拍子に…などがいわれますが

たとえば、朝の体操遊び、絵本読みの本を開くタイミングなどで『せーの』などといっても、2拍のタイミングが身に付いてきます

一列に並ぶついでに足踏み練習で

『いち、2,3,4、にい、2,3,4』と言えば4拍をまとまりとしての拍子の取り方が身に付きます

体操でも応用ができそうですね

まあ、これをベースにして・・・

いざ合奏

まずは曲が決まったら、メロディパートの子を先に決め、楽譜を渡し、集中練習

合わせて、クラス全員でメインメロディの音階歌いを始めます

同時進行でベース音、たとえばバスマスターなどを決め、練習開始

2つの進行を見ながら、2つを合わせます

サビからが合わせやすかったりします

もしくは曲の冒頭

前奏は後付けで練習したほうがやりやすいような・・・

打楽器類はまず大太鼓と小太鼓

別々での練習をし、2つ合わせるときには先生がメインメロディを歌ったり、ひいたり

ある程度大太鼓、小太鼓が理解してきたら、メインメロディと合わせ

その後ベースも合わせる

これで基本は終了

木琴・鉄筋は独自練習中は先生がメインメロディを歌う

で、メインと合わせ、ベースを入れ、最後に打楽器も入れる

打楽器を入れるのは、どのパートの練習でも最後に合わせさせるようにします

それは、打楽器がうるさく、各パートが混乱をしやすいからです

まあ、これが、ドンの練習基本です

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はらぺこ あおむし

発表会で使える歌で、第一にオススメは

『はらぺこ あおむし』

しんざわとしひこさんが、エリックカールの名作に歌をつけてます

ちょっと音が複雑なので、2歳児くらいなら簡易化したほうがいいかも。

語り部分を職員がやって、

『げっつよ~び~』からの部分を子どもが歌うってのもありです。

土曜日の大食いの部分は子どもたちが、早口でまくしたてるので、

中身が伝わらなくても、とてもかわいく見えます。

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発表会・遊戯会の演目は

まあ、保育を楽しんでれば、子どもと一緒にいる間に、子どもの様子から演目は浮かんでくるものだよね

まあ、たいていは邪魔するのは園長だったり主任だったり(;一_一)

発表会や遊戯会が、猿回しのようにならないようにしなくっちゃねsmile

でもね、俺のプロ根性は

  • 子どもには、ただただ、楽しく。舞台を超えて、頑張ればできるという喜びとそれを見てもらう楽しさを。
  • 保護者にはまずはすごい演目をみせて『すごいでしょwink』って。で、その後に『でも本当に見てもらいたいのは、プロセス。毎日、練習して帰ってくる子に、励ましや鼓舞を。結果を求めないで見てほしい』って視点を持ってほしい。

でも、やっぱりネタ切れになってしまいがちだよね~(>_<)

で、とりあえず今日はお勧め持ちネタを列挙

少しずつ内容をアップしてきます

先に知りたいって演目があれば、メールかコメントでどじょhappy01

penguinおすすめ演目penguin

  • はらぺこあおむし・・・しんざわとしひこさんが曲を作ってます
  • いっすんももきんたろう・・・ポンキッキでながれてました
  • ディズニー関連・・・定番と言えば定番です
  • ジブリ関連・・・これも定番
  • まっくらもりのうた・・・みんなのうたより
  • メトロポリタンミュージアム・・・みんなのうたより
  • ひげなしゴゲジャバル・・・みんなのうたより

合奏

  • 天国と地獄・・・発表会では定番じゃないね
  • ベートーヴェン第9・・・簡単かつゴージャス
  • ドラクエ・・・ロトのテーマよりフィールド曲が冴える
  • ディズニー関連・・・合奏はもとよりトーンチャイムやハンドベルも
  • ジブリ関連・・・合奏はもとよりトーンチャイムやハンドベルも

  • 昔話一連・・・ただの昔話を、吉本コントなみにアレンジして爆笑劇に
  • 王様シリーズ:寺村 輝夫作のおもしろシリーズ
  • どろぼうがっこう・・・かこさとし作
  • からすのぱんやさん・・・人数をはけやすい?
  • どうぞのイス・・・絵本として定番
  • はらぺこあおむし・・・歌と連動してもたのしいかも
  • ひげなしゴゲジャバル・・・劇としてもいけるはず
  • あおひげ侯爵・・・最後をメルヘンチックにして教訓話っぽく
  • あかいくつ・・・これも最後をほっとする話にして教訓話っぽく

ダンス

  • ユーロビートミッキーマウスマーチ・・・いけるはず
  • バラライカ・・・ニコ動でダンスを確認
  • 最強パレパレード・・・ニコ動でダンスを確認
  • フレンド・ライク・ミー・・・アラジンを見ろ
  • アンダー・ザ・シー・・・リトルマーメードより
  • キューバンピート・・・マスクを見ろ
  • ヴァレンチ・・・いい具合に踊れます
  • チャイコフスキーのバレー関連・・・アレンジすればクール

まあ、こんなとこでしょ

ほかにもあるけど、とりあえず、思い浮かぶものの一部を

これからが本番

がんばれnote

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すたる・びちーの

『そばにいることは』という意味

イタリア歌曲Ⅰの演目で、2番まである

1番は、傍にいることはこの世の最高の喜び

2番は、傍にいないことは、とてつもない悲しみ

そんな単純な歌

保育の基本

傍に、少なくとも心は寄り添ってあげる

どんなにワンパクでも、自分で何でもできる子でも

すたる・びちーの

保育について、ブログであれこれ書いてるけど、現場の先生と、それを語ることはなかった

初めの保育園では、自分が一番下の若造で、

『すみません、ぺーぺーなもんで』

が、武器になってた。

そんなだから、保育談議なんて。。。

多分に、老獪な先生は、色々わかって、見守ってくれたり、チクチク云っても、それはそれで認めてくれてた

でも、基本的には、誰ともそれを分かってはなかった

俺の保育は俺の物、俺と子どもの世界

それが『シモジョウ組』だった

2つ目の保育園で、ちょっと事情が変わった

途中で入っても、中堅扱いで、『すみません、ぺーぺーなもんで』は、なかなか立ちまわれなくなった

もうひとつ『子どもを複数で見る』が原則の保育園

『俺の』が言いにくくなった

3歳以上児が同じ場所で生活している。担任は4人。俺が一応年長者。

年度初め、俺の直属は別として、残りの二人をどうまとめていくかは、結構悩んだ

右を向けと言われれば右を向く、そんな体質が保育園全体にあった

一人のすぐれた指導者がいれば、あとは右向け右で大丈夫・・・保育園てそんなとこじゃないだろ?

その上、すぐれているかは別として、みんなはそれに納得して右を向いていたわけじゃなかった

右を向きながら、文句タラタラ

子どもたちへは、個として接したり『先生の特権』で接したり

そんな先生たちがほとんどの状態

2人をどうしてくれよう

以上児の状態はかんばしくなかった

怖い時は大人の顔を見る癖があるのに、自分の欲求には餓鬼のように素直で、どんな時でもかまわず要求、要求

一般の人から言えば『けじめがついてない』『締まってない』

でも、それも違う気はする

それらしい社会の中で、それらしく育ってたってだけだと考えた

じゃ、その社会を形作るのは?

初めは、間違いなく『先生の仕事』

それをきれいに整地していけば、年長さんなら、自分たちで社会を、クラスを形成するようになって、それが継続できれば、伝統になる

子どもに視点を当てた時、胆は坐った。

3人のおじょうちゃんたちには、できる限りを伝えていこう。

良いものも、悪いものも、もっている知識を全部下ろして、それも含めて検討してもらおう

で、もし、ダメなら、我がクラスだけ囲ってしまおう

本当は、それが一番簡単

俺は3歳児だから、できの悪い上の2クラスを反面鏡にして、クラスをまとめていく

運があれば、上2クラスも、そこで奮起してうまくいくかも

でも、まずは我がクラス

直属には、一応のスタンスを伝えて、あくまでも中立の状況にいることにして

2人の先生には、突き放すように、選択肢をボンボン出していって

その一方で、子どもたちをどんどん引っ張って、切り従えて

思わないことが起こった

2人が俺のやり方に目を向けてくれた

少しずつ、でも、理解しようとして、そして、理解しつつあった

それから幾星霜。。。。なんて時間は経ってないけど、そう言って過言でないほど色々あって、何度もぎりぎりの状態を超えて、保育について、少なくともみんな考えた

子どもの笑顔は増えた

子どもの反応はよくなった

指導者の舵とは、ちょっと違って見えるらしく、煙たくも思われたかも

でも、実地に基づけば、時にはそんなこともある。回り道もありでしょ?

行き着くところは、きっと、行き着くところは同じ

みんな、そう信じて、保育にあたった

ある日、俺は気づいたんだな

このおじょうちゃんたちに、保育の楽しさを伝えるのが、今、俺の楽しみになってる

子どものことは、どれをやっても楽しくて当たり前、真剣に考えて当たり前

それが、プロでしょ?

でも、それと同じくらい、同輩にいろいろ伝えるのが、うれしくてしょうがなかった

賛同してくれなくても、それを語って、相手の考えを聞くのが楽しかった

正直、稚拙な反応が返ってくることが多かったけど、視点はしっかり持ててるみたいで、喉元まで俺が持ってる答えを出しそうになりながら、おじょうちゃんたちの答えを出すプロセスを見てた

保育は子どもを育てていくことだけじゃない

親育て。。。なんてのも眼目にある

自分が育ってるのに気づくこともある

今回はおじょうちゃんたちも

子どもを通して、人が育っていく

それも『保育』の楽しさ

すらる・びちーの

心を寄せて

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こどもにつたえたいこと

私の保育はずるい

使えるものすべてを使って、子どもに接する

子どもの心理の穴を突くようなことも多い

柱になるのは儒学

誠実・孝行は理由なく前提になる

子ども個人を育てると共に、集団も育てることを意識している

個から離れて集団に大義を置くこともある

集団心理は扱いやすく、それは個人の鼓舞につながる

時に強く子どもの心をえぐることもある

例えば

あからさまな『悪いこと』を悪いこととわかっていてする子がいる。

悪意というより、ブレーキが甘い

これが、ブレーキがなければ集団心理で刷りこんだり、諭したり・・・

でも、ブレーキが甘いのは、場合によっては早めの対応が必要なことがある

そんな時には耳元でこう囁く

『あなたのお母さんがそれをしていいと言ったのですか?』

それから順番に、その子の愛する人の名前を連ねていく

悪いことの上に、さらに重石を乗せていく方法

子どもは自分のやったことの空恐ろしさを感じ始める

心を追い詰めるとき、可哀想と思わないわけはないが、これが必要と思ってやる

真に正しきものは、血と灰塵より生まれる、そんな風には思わないが、そんな時は多分そんな気持ちなんだと思う

子どもには、しつこい

いや、正しくは、ドンシモジョウはしつこい。だれにでも。

答えが出るまでは、相手から逸れない。逃げない。逃がさない。

相手に罪があるとわかっても、最後まで話をして、自分で認めさせる

間違いの余地がなくなるまで、話す

子どもにつたえたいこと

一、相手を理解すること。同意しなくても理解する、そのための努力が必要。

二、人に優しくすること。儒学の考え方。

三、逃げないこと。逃げるとそれは追いかけてくる。退くことは作戦行動の一つ。退くことは、それ以上の考えに拠るのであってもよいと思う。

四、楽しむこと。大きなものだけでなく、花に水をやったり、一番にドアを開けたり。子どもは楽しみを無限に見つけられる。大人になると大きな楽しみしか見られないようになる。でも、本当の楽しみ、幸せは、足元にある。それを忘れないでほしい。

五、悪者を許さないこと。正確には、悪者が悪者であり続けることを許さないこと。『悪者すべからく滅すべし』悪者は滅して、悪者ではなくするように動くこと。

私もこうありたいと常々思っているけど、、、、なかなか難しい。

せめて、子どもの前では、絶対権力者で王様でスーパーヒーローであり続けたい。

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さて、保育

さて、冬準備が整った庭では、後はすることがないので・・・

久しぶりに保育の話でもして見ましょうか。

新しい保育園に来て3ヶ月が過ぎようとしています。

前にも書いた・・・かどうだか。

『見守る保育』というものを実践している保育園です。

web検索すると、『見守る保育』の概要や今までの系統立ての経緯などはすぐに見つかると思います。

では、今の時点での私の解釈としてはこうです。

『保育者は少し子どもに手を貸しすぎで、結果子どもの成長、発達を阻害していたことがあった。ので、一歩引いて、子どもの能動的な動きや活動を尊重して、それに合わせて保育環境を整えましょう』

保育環境とは、活動の場所や遊具のほかに保育者、もしくは保育者からの働きかけも含まれると考えられます。

良くある解釈として、『見守る保育』って放任保育と紙一重というものがあります。
まあ、実践の方法で、そういう危ういところがある場合も多いようです。
子どもの自発性を伸ばすので、子どもの好きなようにさせている。。。
私には間違っているとはいえないのですが、私の解釈とはかなり差があります。

今の時点での私の極端な解釈では、『見守る保育』は完全な設定保育です。しかし、その設定は、直前の子どもの様子から立てられます。そしてその設定は保育者の意思としてではなく、子どもの能動的な活動として実施されることが理想だと思います。

では具体的に。
園庭で遊びます。
砂場を開放して砂場様の遊具が出されます。
子どもたちは砂場道具で遊び始めます。
誰かが砂山を作ります。
保育者が如雨露に水を持ってきます。中には山にかけて川を作ってみせる保育者もいるでしょう。
子どもたちの中に砂場+水の遊びが生まれます。
砂山を固めてトンネル、砂山に道を作って川を引き、川を砂場一杯に張り巡らせ、葉っぱを流す子が出てくるかも知れません。
砂+水で、誰かが砂団子を作ります。
保育者は砂場から離れ畑の土で泥団子を作って見せます。
もしかしたら子どもの興味は泥団子に移るかもしれません。

上の例は『遊び』の発達の、ごく一例です。もちろんそううまくいかないこともありますし、もっと早い展開があることもあります。
連綿と続く遊びの発達です。

もっとこだわれば、はじめの時点で砂場遊具は出しません。
砂を運んだり、砂を掘ったりすることに、手でチャレンジしても、その時点では不便とは感じないとは思います。
手で十分遊んだ後、道具を保育者が使って見せ、子どもが興味を持ったら渡す。
それもありでしょう。

上の例の中で遊具も、水も、泥も保育者の意図の下に提供されたものです。しかし、保育者は子どもの様子を見て適材を適時提供した形です。
つまり、子どもたちは必然的に遊びの発達があったのですが、保育者はその必然の発達をもう一回り大きな目で見ている必要があったということです。
放任保育と紙一重であれば、その紙は相当分厚いということになるでしょう。

あれあれ、でも、コレって、保育の基本じゃありません?

でもね、この基本。多くの保育所で、色々な理由で、実践できないことが多かったんです。

で、『見守る保育』という題目の元啓蒙されている。。。と、今の時点では、私は考えています。

実際の『見守る保育』には、子どもの能動性、主体性、その根幹となる情緒の安定・発達、集中力の養成を眼目に、遊具の選定、環境設定の具体論などが含まれるので、今の私の解釈がすべてではないのですが、その基本理念の解釈ということで書いてみました。

保育士に戻って、色々考えることはあるものの、毎日子どもの顔が見られることで、ちょっとうれしいドンなのです。

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さっそく

昨日から保育園で働いています。

ブランクはあっても、まあ、あまり変わりないです。

子どもへの接し方が、前の保育園とは、かなり違います。

え~・・・『見守る保育』というやつです。

ドン・シモジョウではなくサンタ・シモジョウになってしまいそうです。

私の基本は『俺がガキ大将で悪いか保育』なので、

まあ、私の個人的な保育観とは対極のようなところです。

そういうところに身をおいてみるのも悪くないと思います。

ここにきて、色々あれば、その分自分の人生は豊かになると、

つくづく思います。

『不好退屈』

少しは含蓄が出てきたでしょうか?

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保育士にもどるタイミング

1週間前、以前の勤務先で卒園式がありました。

卒園したのは、以前2歳児クラスで担任した子ども達です。

あんなに小さかった子が、もう、小学生。

そして、この卒園で、担任した子は園にいなくなりました。

なんとも、寂しい限りです。

保育士に戻る気はありませんか、と良く聞かれます。

いずれ、また、戻るのも良いかなと思っていました。

ここでも数度紹介した、子ども園の制度がどう動くのか見極めてからと言う気持ちでした。

子ども園が動き出し、保育園の体制が動き出すまで、10年と読んでいました。

5年様子を見て、保育士に戻り、再度5年働く。この程度は、選択肢に入っていました。

が、どうやら、読み違えではないかと言う気がします。

保育園運営費が一般財源化されています。今のところ公立が。

この流れが私立におよび、さらに子ども園の稼動や稼動施設の子ども園化が進めば、10年の大計は5年に、足がはやくなる可能性があります。

先の記事でも触れたように、子ども園になっては、保育士免許しか持っていない自分には、働くことができません:私の暮らす地域の方針だと:

と言うことは、私が自分の資格を生かすことが出来るのは、この先5年かもしれないと言うことです。。。

(@_@;)。。。う~ん。。。どうしましょ?

でも、5年の内に必ず保育士に戻りたいってわけでも。。。ないですね。。。

でも、戻って、再びドン・シモジョウとして暴れて、で、それで終いというのも良いですね。。。

すべては、時の運でしょうか。

どこかで、保育士として認めてくれるところがあれば、そこになびくのも一興。

17人の子ども達との2年間を、保育士最後の思い出として飾るのも一興です。

今の仕事に、不満はないので、運が廻るのを眺めている気分です。

長久の謀は、期待をしない、かけない、しかし、機を逃さない視点を持つことこそ最良なのでしょう。

季節はめぐり、保育士をやめて1年。

今年もバラの季節がやってきます。

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発表会に行ってきました

無事終わって何よりでした。

私がやっていたような傾くというか、歌舞くというか、そんな演目はなく、
安心して見ることが出来るものでしたね。

1年経つのは早いものです。。。と、つくづく思いました。

今年の年長さんは、2歳児の頃私が担任して、まあ、一番やんちゃな頃の思い出があるわけです。

2歳児のときの発表会にも、色々思い出があります。

『舞台の上でへそを曲げた彼女』や『歌を歌うときに手をブンブン振ったあのトリオ』

そんな彼らはもう年長さんで、もうすぐ小学生。

はやいはやいと、つくづく思いました。

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赤い靴

子ども達に話すとき、クライマックスは少し優しくしてありました。

カーレン森の中で苦しみながらも踊り続けました。そして心から神様に謝りました。
すると空から光が降ってきて、薔薇の花が咲きました。
カーレンは薔薇に絡まり足からはが流れました。
 その瞬間、赤い靴は足から脱げ、まるで笑うようにカタカタ音を立てながら森の奥に消えていきました。』

子ども達は恐いもの見たさで、目を輝かせて聞いていたものです。
話し終わると、聞き終えた充実感と合わせて、空恐ろしさが子ども達の中に立ち込めるのを感じます。

約束を破り、傲慢で、我慢がならない女の子の末路
真の許しを得る為の、厳しい代償

どんなに世情が変わっても、子どもには大人が伝えなければいけないことがある。
童話には、そんなメッセージが綺羅星のごとくちりばめられています。

7つめの扉の奥、箪笥の中の生首。
脇目ばかり見る女の子、身内に化ける狼。
光る石を落とす知恵、パンを食べるカラス、お菓子の家の誘惑。
声を捨て人型を得ること、水泡に帰す悲しみ。

残酷な話を語りついで来ましたが、童話の影響で子どもが残酷になったと言う話は聞いたことがありません。
ところが、大人は残酷な童話を、まるで廃墟のように軽く扱い、ともすればエンターテイメントに変えてしまう。

子どもが暴力的に、残酷になるのはメディアのせいだ、ゲームのせいだという。

違うのですよ。

残酷さを愉悦として描く、エンターテイメントにしてしまう、それこそが麻酔の役をしているのです。

残酷なものは残酷なものとして伝えなければなりません。
また、そこから学ぶべきものへ、導いてあげるのも良いでしょう。

それが薔薇の棘の痛みでも、木こりの一撃でも、子どもには大差はないでしょう。
畏怖の心を燈してこそ、人は人として心が育てられるのだと思います。

Dc012110

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旧さくら組

夏祭りがありまして、お邪魔してきました

遊びに行ったつもりが、受付だなんだで・・・職員と変わらんじゃないか。。。。

で、途中でヨーヨー製作係りに。。。

雨で中止のことを考えて、必要量の半分しか作り置きしていなかったようです。

で、俺ひとりがどんだけやっても、たかが知れているので、メンバーを招集しました

旧さくら組。

いや~やはり鍛え方が違いますな。我がクラスは。

指示ひとつで動く動く(@^^)

で、手伝うことを愉しむ、喜ぶ!!

素晴らしきかな、旧さくら組。

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はなぢだんしゃくへ

かわにおちたそうですね

かっぱにひきづられたとか・・・

だいじょうぶですか?

きみ・・・かっぱにおこられるようなことを、しませんでしたか?

これからは、あめがたくさんふって、みずがたくさん、かわにながれます。

あぶないことはしない、あぶないところにはいかない

わたしとのやくそくを、わすれましたか?

プールをおもいだしなさい。

あぶないことをすると、たすからないこともあるのですよ。

これからは、きをつけなさい。

(^0_0^)

いつか遊びにくるひを、たのしみにしていますよ

だいろくてんまおうより

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こども園で砦が崩れる

就学前の児童施設として、代表格は『保育園』『幼稚園』である。

幼稚園と保育園の違いについて、人から訊ねられると、認可している役所が違う…などと説明するが、実際その程度の違いしか、最近では感じられなかった。

保育所は厚生労働省

幼稚園は文部科学省

預かる子どもの年齢にも差があり、また条件にも差があるが、その根源は、各々の存在意義の違いによるものだ。

幼稚園は就学前の勉強の場。

保育園は家庭で保育に欠ける子の、保育の補完の場。

つまり、幼稚園は集団の生活の中で、次のステップのための準備、練習の場であり、そのために子どもがある程度成長してからの収容となる。

一方で保育園は、仕事や介護のために、子どもに十分な保育を施せない家庭に、それを変わって行う施設である。したがって、最低限の生命安全の期間を超えると預かることが出来る。

この由来によって、子どもの預かる時間は半日と一日、条件はなしと就労等、という風に分かれだすのである。

が、保育園はその形態から、自然と幼稚園の分もカバーするようになってきた。

特に3歳児を過ぎると、着脱や排泄、食事など、基本的な生活習慣が身につき、その次のステップに入り始める。

それは、つまり、幼稚園が行っているものと変わらないわけで・・・

保育園には、義務としてはそれ以上は求められてはいないが、保護者の要望や、園同士の競争から、文字の練習や楽器演奏などを取り入れ、また、様々な活動を行うようになってきた。

保育園は、かなり以前より幼稚園との一元化を望んできたが、幼稚園側は反発。自分たちの行う『教育』の部分を、自分たちの業務根幹だとして、保育園の、その、生り物の部分とは違うと主張し続けた。

まあ、結果として幼稚園は、少子化や子育て支援の余波から、延長保育を行い始め、最近では保育園との、業務内容の差は減りつつあったが。。。

さて、今回、新しい児童施設が誕生した。

子ども園

平たく言えば、誰でも金を出せば子どもを預けられる施設。

就労や介護など、預ける側の条件は、どうやらなくなる方向らしい。

幼稚園と同じ、望めば入れる。

一方で、時間帯は保育園と同じか、もっと延ばされ、休日保育や夜間保育にも手が伸びそうだ。

政府の有識者の会議が、総理に答申したものを平たく言えば『施設認可の条件は、現在の基準のうち、一番低いものを採用すれば、敷居が低くなり、現実的参入しやすいでしょう』

施設基準は保育園、幼稚園のうち低い方を。。。今まで幼稚園では預かっていなかった乳幼児を預かるのに?

で、『保育料に関しては・・・』基準なしのやりたい放題。設定自由。。。になるらしい。モデルケース地区の場合、今までの保育料と数千円の差が出たとか。。。。

何より怖いのは、誰でも預かるというところ。

お母さんがいて、家でごろごろしてても預かる。認可時間ぎりぎりまででも・・・・

朝、お父さんと7:30に来て、夕方6:00くらいまで園にいる。お母さんは家でゴロゴロでも。。。

そんなことがまかり通るようになる。

子育てを放棄させる可能性がある施設。子ども園。

その部分に関して、実際の職員に、受け入れの時間の制限を掛けられるような権限がほしいところだが。。。

現実的には、その分が園の収益に直接関与してくるために、難しくなってくる。雇われ人が、お客様に利用制限をかけるのは難しいし、経営者が顧客を遠ざけるわけもなく・・・

この『子ども園』子どもの成長と家庭のあり方がなし崩しになる可能性が・・・高い。

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ただいま帰宅

わははは

おわったぞ~。まったくもって終わった。。。

これで何のしがらみもない。まるで腕輪のとれたジニーちゃんでーす。。。
・・・拍手拍手・・・・

五年間、いろいろあったね。。。。ま、俺も成長したかな?

でも、成長したのか澱んだのか。。。。一片の曇りなく己の道をつらぬく。。。難しいね。。。

自分の真価を発揮できる新しい道を求め、覇道をすすむか。。。

三国志じゃないけど『平世の能臣乱世の奸雄』まで昇ろうか

お世話になった人たちにも、普通に暇乞いできたし、ま、首尾は上々さね。

帰りながら、よくもこんな糞長いバイパスを東から西までいったなーと。。。

その点だけ、自分を褒めときました。おしまい。。。。。

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第三者評価も糞喰らえ!!

保育の糞喰らえシリーズ第2弾は第三者評価です。

知ってます?『だいさんしゃひょうか』もしくは『だいさんしゃひょうかいいんかい』

ま、詳しい説明は省きます。ネットで探してください。

要するにミシュランよろしく福祉施設に☆印がつくんですよ。

実施の要点は、外から見ての判断基準、つまるところ利用者がそれをみて、その保育園がいい施設なのかどうなのかをはっきりさせるのと、その根幹は、○×がつくガイドラインを施設に与えて、それに沿う質の向上を図らせる。。。という、ま、お役所からの新しい提案なんですね。

利用者はそれを見て、☆印が多い方に行く。施設は☆印を多くもらうために、ラインに沿って歩く。。。と。

ま、これが料理みたいに、お客様へのサービスだけの話ならわかるけどね。

保育園の特別な構成を前に書いたかどうだか。。。

保育園はお役所の認可に基づいて運営され、その経営は理事会や園長によって行われる。実際にサービスを提供しているのは、雇われている保育士。ここまでは普通なんだわ。

ところが保育と言うサービスを申請するのは保護者。実際にサービスを受けるのは子ども。サービスへの対価を払うのは。。。

そうそう、ここ勘違い多いからね。対価のほとんどは国と地方公共団体から払われてるのよ。保育料を払ってるからとかなんとか言う人多いけど、あれ全体の1割なんよ。

つまり、サービスへの対価を払うのは国民全体。赤ちゃんひとりに2.30万円、一月にかかってんのよ。

ね?構造が普通の『サービス』って言う枠から外れてるでしょ?

で、第三者評価の何が糞かって?保育園のサービスが明確じゃない上に、お役所が2枚舌だからよ。

保育園の根幹は?保育に欠ける、つまり家庭での保育:育児が十分でない子の保育:育児の補完。これが最重点。これは何の問題もなく、長年受け継がれてきた。
ところがこれを行ううえで澱みがでてくる。平日の子どもの起きて活動している時間の60~70パーセントを保育園の保育が締める。オムツを外すのも離乳食を進めるのも保育園。一緒に笑うのも泣くのも保育士。社会性の形成の大部分を保育園が握っているならば、家庭と連携をとりながらでも、いわゆる『しつけ』の部分も保育園が行わなければならない。

時に子どもを励まし、一緒に喜び、時に一緒に泣き、叱る。
保護者と同じことを、家庭保育補完のなのもとに行う保育士。
それを、3歳以上時では20~30人分。無数の子どもとのやり取りを紡いで、ひとつの集団としても育て、また、生命の保持を考える。それが保育士の仕事。

これが○×で体現できるでしょうか?

役所は言います。『保護者がたとえ仕事ではなくとも、心身をリフレッシュし子育てに向かえるように、保護者の遊興の間も預かりなさい』
『手作りお弁当の日?保護者は忙しいのです。なるべく控えなさい。遠足?それならばいいでしょう』
『保護者の中には日曜日が仕事の方も多いのです。休日保育を進めていきませんか?』

その一方で『保育士が国家資格になり、福祉向上のために尽力なさい。子育て支援も義務化しましょう』

子育て支援。。。子どもの心身の安定を図り、先々の人間形成にとっても、幼児期の家庭は大切です。家庭保育の大切さを説き、子育てのやりがいを伝え、時に負担を軽減する援助をしましょう。。。と言うものだと理解していましたが、上のお役所の言葉と、大方の保護者の理解から導き出されるものは

子育てから開放されるために、子どもを家庭から離すチャンスをつくりましょう

中には、本当に援助を必要としている家庭。もしくは自分では気づいていなくても援助が必要な人もいるでしょう。

自分の利用できる面にだけ目が行き、本質を考えない人も多いでしょう。

そんな中にあって、保育士が出来ることは?

ところが、保育士には義務はあっても権限がありません。

その子やその子の家庭、その保護者に本当に必要な援助を知っていても、それを実施しようとするうえで、その家庭から拒否されたときに、なすすべはありません。
われわれは木偶人形と変わりはないのです。伝言板を首から提げた木偶人形。私は何度も自分をそう思いました。

そして、今回の第三者評価問題。伝えようとしても権限がなく、保育の中で実践しても、ラインに沿わなければ違反者として挙げられ、園評価につながる問題として経営陣に疎まれる。それが今後の保育者の、延々と続くゴルゴダへの道となるのです。

保育士をして5年。己を曲げてやってきたことも多くあったけど、芯を曲げることにぶつからなかったことを幸いとし、また、根幹を揺るがす問題が襲ってくる前に暖簾を下ろせることを幸せに思ってる。うせにけり、うせにけり。

少なくとも、子どもへはまっすぐな姿を見せることが出来ただろう。

2階の以上児のクラスにあがるときに、いつの間にか毎回つぶやく言葉が出来た。

天国への階段は、暗く険しく、果てしなく遠い・・・・

第三者評価も糞喰らえ!!

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保育の至高とイデア論

イデア論。万物の真の姿はイデア界に存在する。この世の物はその存在を求めて形をなしている。

保育の世界は日々、進化している。。。なんていう奴がいる。子育て支援に食育。延長保育に休日保育。親のリフレッシュのために子どもを預かるのが、子育て支援なのか?

保育の内容は?英語教育、情操教育。習字に太鼓に遊戯に鍵盤ハーモニカ。

さて、イデア界にある保育とは?

10数年前、寝かせ方はうつ伏せ寝が良いと言われた。頭の形が良くなる。と言う話から、形を良くして脳機能を良くしよう。。。なんて。。。

で、今となっては突然死症候群の第一因子。

内容を競い合って、飲み水や言葉掛けを売りにした保育が廃れ、自由保育の台頭。
自由保育を放任保育と勘違いして、またふりだし。
原点回帰で内容充実。

???

さて、ここで問題は、この一連を同じ保育者が行ってきたと言うこと。

180度の転換を行い、それを実行してきた人間が、今を信じて保育を行う。恥ずかしげもなく。

まあ、ここにあげつらってもどうしようもないことだけど。。。。

でもね、ある先生が言ったのさ。『色々してあげたいことがある、してあげなきゃいけないことがある』

美談に聞こえるけど、してあげたいこと、してあげなきゃいけないことがあるだなんて、おこがましい。
自分の主体の転換を恥ずかしげもなく行ってきた人間が、理想や信念を謳うだなんて。

正面向いて言えば『私がしたいことがある』だろ?

俺はそれで保育を行ってきた。結果が出るのはずっと先。いずれ吟味し省みることもあるだろうさ。

そこにすがって、取り憑いてきた人間の、下手なエゴイズムの世界。

俺は俺のイデアを。それを性根据えて大言できないなら、引き潮の音に耳を傾けるべきでしょ?

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怖いお父さんの誕生理由

昭和のオヤジは怖かった。今のパパは怖くないし、怖がられないし、威厳がない。

昔のオヤジは何故怖かった?

殴ったから?大声を出したから?

違いますね。

それは『お父さん』に畏怖の心を抱き、畏敬の念を持っていたからでしょう。

『お母さん』をはじめ、家族全体が『お父さん』に鈍い恐怖と尊敬の念を持っていたのではないでしょうか?

まるで昭和の人が『天皇』を崇拝したように。アニミズム的に、そこに神が宿っているように敬っていました。

もちろん、その畏敬の念は子どもの成長とともに崩壊します。第2次成長期を迎えると、特に男子は自己のテリトリーとパターンを持ち、それに衝突する相手に攻撃的になります。今までのように闇雲に畏怖を感じなくなります。。。。

しかし、そこには隠然たる恐怖が存在し続けます。

そのわずかに残る、トラウマのような畏敬の念が、それを体験した人たちで構成される社会の中で、礼儀や節度となって現れ、そのことによって社会が円滑に回っていたのです。

いま、女性が社会に進出し、お父さんが子どもとフレンドリーになることを求めている世の中で、『オヤジへの畏怖』は両立できるものではありません。家族生活では邪魔でさえあります。

しかし、そんな中で、何かに対する畏怖の心をこどもに抱かせることは、至難の業です。

畏怖、畏敬を知らないで育つ子ども。それが大人になったときの社会。

キレる10代などという言葉ももはや薄れるほどに加速する、荒廃。

怖いお父さん、大切ではありませんか?

?私ですか?

・・・・泣く子ももっと泣く、鬼のシモジョウです。。。。

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ちかごろ なにか へんだ

・・・年金制度はネズミ講となにが違うんだろう?

戦争反対を叫ぶ人は、何で車に平気で乗るんだろう?年間1万人の死者。大儀があろうと私闘だろうと戦争は反対で、利便性の追及には、1万人の死者はあまり関係ないのかね?そうそう、江戸時代には交通事故は稀だったって。大八車にぶつかって死者が出たって。それ以外は馬関係。ほとんどは落馬と蹴られて。年間1万人、殺そうと思っても殺しきれないね。

保育園の保育。保育料納めてるから当たり前?公のサービスではあるけど、自分のお金だけの話じゃないのよ。保育にかかる、子ども一人当たりの措置費用。自費ではらっている保育料は、どんなにがんばっても措置費の2割強。残りの半分は国。もう半分は地方自治体が負担してます。
高い保育料払って。。。って、思っていませんか?違いますよ、それでも大量に『みなさん』の恩恵にあやかっているんですよ。

子育てにはお金が必要です。間違いありません。みなさんが思ってる以上に、実際は大きな資金を動かすものなんです。

でもね、お金がかかるものだけど、生き物である以上、生活に欠かせないものだと思ってます。ご飯を食べたり、寝たりするのと同じで絶対的に必要なものだと思います。

大きなテレビやいい車、広い家なんかは次の次です。そんなものがなくても子育てできるでしょう?だから、子育てにウェイトを持っていってほしいんです。

利便性、嗜好性にウェイトが乗りすぎた上で、子育ての費用がかさむことを嫌に思わないでほしいんです。

子育てにはお金がかかります。色々なことに制限がかかります。ほしいものは手に入らなくなり、時間もとられます。

もちろん、子育ての喜びは大きくあります。

嫌なら、生まないことです。

根元が不安定な積み木は、どこまで積んでも斜めで、不安定です。そのまま積んでもうまく積めません。一度壊し、リセットをかけ、ストップするべきです。

利便性、嗜好性を求め、さらに子育ての喜びを味わい、そのためにみんなで子育て支援。

役所の言い分は『子育てが嫌な人の負担を減らし、子育てに向かい合ってもらう』

無理ですね。

なぜ?

支援には金が要るが、我々にはそんな財政の余裕がない。

ネズミにチーズをやるとワインをくれといいだす。リフレッシュのための保育所保育?育児放棄と何が違うのか、誰か教えてくれ。

と、いうわけで、ちかごろ なにか へんだ・・・・

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ももれんじゃ〜1号の希望で、

これもブログにのせときますw(゜o゜)w060216_1637.jpg

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悪者、すべて滅すべし

育児に悩んで母親が子どもを殺害・・・・
今日の新聞に出てた
育児に悩んでって・・・ま、悩みもいろいろだろうけど、なにも殺さなくても。。。。
普通はさ、育児に悩んで、そこから逃げたいなら自分が死ぬでしょ?それか、家出とか。。。
わが身可愛さなら、生まなきゃいいのに・・・

保育士は保育園のほかに養護施設で働くこともある。今は法律で児童福祉施設に勤めなければ、免許を持ってても『保育士』とは名乗れないことになってる。無認可で働いてても、免許取得者で止まってしまうって。。。ま、それで、こどもの保育の質を保てるってことにしてるけど、どうなん?

熊本の児童養護施設の中には、園長と主任と理事会がほとんどファミリーなんてこともあるし、勤務に適切な手当てが付いてるわけじゃないし、いわゆる保育関係は完璧な『自分のサービス』業務って、ほとんどの保育士が認識してるんじゃない?

たとえば、保育に入っている先生。担任持ってると昼間は休憩なんてとれないよね。ひとりで担任すると昼の休憩は無理。8時から17時まで9時間勤務だけど、これって昼に1時間休んでる計算で一日8時間勤務の帳尻あわせよ。。。。これで一年200日働くと、保育士のただ働き自給800円計算でも16万円の損害よ。

ある児童養護施設、夜勤の手当は数回に1回しか付かないって。子どもの食事には肉があまり出なくて、そこの子は全体的に体格が標準より小さいんじゃないってうわさ。そこの主任や園長の退職金は\\\\万円。あほくさいね。。。

そんな環境で、認可、無認可で『保育士』の名前だけで質って保てるのかな?

で、はじめの話。無責任な親も多いし、そんなんなら施設に預ければ?って。。。
でも、施設に預けられる子の親権、まだ、親にあるのよ。ある施設の子、男を繋ぎとめって理由で生んで、面会は年に数回。なかで面倒見てる側からすると。。。。ねぇ。。。。

そのこのためには、他の親がつくか、親自体いらないんじゃない?

施設に来る子は、昔は親の貧困なんかが多かったけど、今じゃ、よくわかんないのが多いらしい。生活ができませんって理由でくるお母さん、ブランドで着飾ってたり。。。

そんなん通す児童相談所も問題よ。担当者一人ですごい数のケースを扱う。それも、その人のさじ加減、器量で子どもの命数が変わっちゃうんだもの。

で、思うのは、日本でも親権の剥奪をメジャーにしたら?その権限があれば、ごちゃごちゃしてた現場の問題も、片付きやすいんじゃ?里親制度もあたらしく道が開けるんじゃ?
〔今は里親制度が活用できるのは、親が不明な場合か、親が同意したばあいで、児童養護施設に来た子に、みんなに、すぐに里親制度がてきようできるわけじゃない〕

でもね、保育園でも、そんなことを感じること多いんだな。
朝から、晩まであずける。。。ま、仕事だから仕方ないっていうのは子どもも知ってて、小さい子で朝から泣く子も、ま、納得して泣き止むわけよ。
ところが、明らかに今日は休みって時に、朝から晩まで・・・・こんなとき、そのこはしっかり判ってる。日が暮れだすとぐずり出すわけよ。

お上からの通達で『保育園は保育に欠ける子の保育を行う。また、子育て支援を行う。』だから、お母さん、お父さんの休みの時、心身のリフレッシュのため子どもをあずかる。。。

趣旨はわからないではないけど、ちょっとグレーゾーン。子育てに向かうためにリフレッシュが必要。わかるけど、リフレッシュばかりで子どもに向き合わない親、いるよね?

お迎えが日が落ちてまっくら。車の中には買い物袋。。。???それ、どうなん?
家事をスムーズに行うために、そうやってお迎え。理にはかなっているけど、そうやって、ただでも子どもと一緒にいる時間少ないのに、さらに削ってない?

こどもの起きてる時間7時から21時の14時間。標準で保育園にいる時間8~9時間。残り5時間のうち朝、夕の食事と風呂を抜いて、家事などのどうしてもの仕事を抜くと。。。いったいどれだけの時間を子どもと向き合ってるか。。。でも、それでも生活のためには仕事からは離れられない。仕方がない。みんな、わかってる。

で、その残り数時間の子どもとの時間のうち、買い物30分、大きくありませんか?

それ以外でも『こどもは保育園が楽しいって・・・』を口実に、色々なお母さんがいる。

集団生活は楽しく、子どもたちは得ることが多くある。しかし、その集団はその子にとって外の社会であり、自分の安全基地として、最小限の社会は家庭であることをみんな、解らなきゃ。

時間単位ではどうしようもないことも多いけど、それを心に留めて、子どもに焦点を当てれば、生活変わるかもね。
特に乳児のお母さんには。。。ねぇ?

子育て支援が必要です。。。ってお上の考え。。。否定はしないけど。。。最初に書いた事件。支援云々じゃなくて、自分が弱い人間に子どもの親権を与えたままなのはどうなん?

極論で言うと、悪者すべて滅すべし?

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ついに。。。

慰問活動が終わり。。。
イベントらしいイベントが終わってしまった。
あとは、卒園式か。。。

この子達にとって最後のイベントは、俺にとっれも最後のイベント。
やはり寂しいもんだ。。。

今日の出来は。。。剛直。。。発表会のときのような、度胸を据えた慎重さではなく、
押せ押せ挙げ挙げのムードだった。。。。
ま、それもありか。。。

後は、子どもたちに好きなことをさせて過ごす日々。
DVD鑑賞会にDonShimojoのクラス名物、クラス大茶会。クッキングはブリュレとマシュマロだって。。。

色々、ぼちぼち、やっていきましょうか。。。

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小ネタ

保育園演劇のなかで、最高傑作に入るであろう『ももれんじゃ~』@@;

さて、この劇中には小ネタがたくさんちりばめてあります。
わかる人には、わかる。そんなものがたくさんです。

わかりやすいもので言うと例の鬼の歌。皆さんご存知のボカンシリーズです。
それから『かんがえちゅー』は、例の教育委員会。
いぬ・さる・きじは有名電車ゲーム。

ここらへんはわかりやすいですね。

では『プロローグ』の音楽は?マイナーに編曲していますが、ある有名アニメです。
全員揃って鬼が島に行く途中、あの『必殺』はわかりましたか?ただの必殺ではなく・・・
あの有名アニメを合成してあります。
いぬ・さる・きじの歌は、モーツァルトのオペラ『魔笛』から。
効力のなさそうな小坊主自作の『おふだ』もいいアクセントです。
逃げる『もも』、おいかける『じいちゃん』
最後のドサクサにまぎれて登場の『じいちゃん・ばあちゃん・もも』
じいちゃん、もものボケつっこみ。

個人的にノーマルで役者をさせたらピカイチと思う『じいちゃん・ばあちゃん』の二人に、あえて『じいちゃん・ばあちゃん』の配役も、ちょっとした遊びです。

ここだけの話、没になったギャグもいくつか・・・

『いのくまとらじゃ』は本当は悪代官の役で、町娘に対しての『時代劇名物・人間こま回し』が設定されていました。
また、じいちゃんとばあちゃんの登場シーンでは『じいちゃん謎の歌』が入るはずでした。『きぶんがいいので、うたいます』といってじいちゃんは『あへあへあへほーあへあへほー♪』と歌いだします。そこにばあちゃんが『またはじまった』とハリセンを取り出し『バチコーイ』じいちゃんは『あいたーっす』と言って本編に戻る設定で・・・

うーん・・・没にして正解だったか。。。。。

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発表会間近!!

最近更新がなかった理由は・・・発表会。
うちの保育園では2月です。
12月から約2ヶ月。やっと本番になりました。

さて、今回の見所は・・・
1:さすがわがクラス。にぎやかナンバーワンの合奏『天国と地獄』
2:遊戯は、まぁ、ひとりひとりが個性をだしてくれるでしょう。
3:構想から1年。配役から10ヶ月。台本決定から2ヶ月。練習1ヶ月。保育園史上最高の傑作『ももれんじゃ~』
4:感動のフィナーレ、和太鼓。

そして、今回のテーマは・・・『ギャグの一押し』

ギャグ。。。。日本語直訳では『猿轡:サルグツワ』。。。相手を黙らせるために口に咬ませる物。。。。転じて、小粋な冗談や抱腹絶倒の洒落となっていますが。。。今回の発表会、笑いますか?泣きますか?・・・・なんにしても、言葉を呑んでみることができるでしょう!!

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危険な一週間

発表会は2月のあたま。正月明けてから、忙しい日が続いとります。
なんせ、年長の出し物ときたら、合奏・ハーモニカ奏・遊戯・劇・和太鼓・・・・・
もーパーフェクトに忙しい。
合奏は年前にできてたけど、残りはあまりに早くすると、子どもたちも飽きちゃって・・・
だからこの一週間は忙しかった。。。劇はようやく形を成してきた。少しずつ、出来上がりの形を見せつつあるわがクラス。

保育園によって、この『子どもの発表』にはさまざまな考えがある。
子どもたちに生活発表の場を与えたい、子どもたちに目標を持たせてがんばらせる、無理なスケジュールは組みたくないけど周りがしているので一応してみる、行事を減らして園にも家庭にも負荷なく保育のみに専念する・・・・

運動会をしない園、発表会がない園、行事ばっかりのところ様々ある。子どもが泣いて園に行きたがらないところもあれば、行事を楽しみにして登園する子が多い園もある。

子どものモチベーションの運び次第か・・・でも、ただ子どもが楽しいだけを前面に押し出しているのもね・・・

行事に力を入れているところは、何もしない園を『子どもの独りよがりを増長している』っていうし、のんびりを風潮にしているところは忙しいところを『保育者、保護者の独りよがりだ』って・・・

こんな議論すら知らない人も多い。そのまま受け入れている保護者も多い。イベントを立ち上げている側も、受けている側ももっと考えなきゃね。

ちなみに、わがクラスはというと。。。。
行事を楽しむことに長けてるな~。。。というのは担任の意気だけだろうか?
行事を通じて、「自分を実感する」それを掲げてやってきて、つくづくに想う。うちの子は、今起こっていることを、その中で自分がどういう風に輝いているのかを、実感できているだろうか?

保護者方々にも、子どもが実感を得ていくプロセスを見る視点を持ってほしい。

出来上がった形だけではなく、それを形成していくプロセスにこそ、本当の子どもの成長があると思っている。

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ホナゾ~が来た日

ホナゾ~は俺が持った最初のクラスの子。今は小学校3年生くらいか。。。
久しぶりに会いに来てくれた。今日、また家に帰るのだとか。
引っ越して、遠くに行ったのはいつだったか・・・小学校に行き始めて少ししか姿を見せず、引っ越した。ま、色々あるのだろう。。。

今日という日にホナゾ~が来てくれたのも、なにかの縁だろう。今日を逃して、次の長期休みとなれば、もう、俺は保育園にいない。まさしく絶妙の今日だった。

ホナゾ~には思い入れが深い。どの子にも、心を尽くしているつもりだが、あの子は特別だった。俺とあーだ、こーだ口喧嘩し、クラスから逃亡するし、どこそこに突っ込んで喧嘩しまくるし・・・でも、心根の優しい、ホントは誰とでも仲良くしたい。。。ま、天邪鬼だったか。。。

保育園を辞めることには、いささかのためらいもないが、ホナゾ~をはじめ、こどもたちの成長と縁遠くなることが、ちと、寂しい。

今日という日に、ホナゾ~という随一の園児に会えたこと、素直にうれしかった。

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タコ殴りと煉獄

さて、凡庸なる諸君に、講義だ。

ここまでのおさらいとして、保育プロセスには1褒める2叱る3強制4条件付けを提示した。このうち1と2は同じ強化というベクトル上にあり、その極端にはそれを超越したご褒美と罰がある。この二つは、その中にあって異質なもののため、分け出し、条件付けとした。

ここでだ。もし私が誰かに何かをさせることが目的ならば、この4つはすこぶる役に立つ。その中にあって一番簡単なのは強制だが、これには力と権威が必要で、それを日本という社会の中においては、一個人が持つことは難しく、規制も多い。ここで、人に何かをさせるならば、罰とご褒美はすこぶる役立つことを書き記す。
相手を怯えさせ、畏怖を持たせ、一方で甘いものをぶら下げる。人に何かをさせるならば、それだけで十分だ。

が、「子どもを育てる」ことは「その子に何かをさせる」こととは違う。子どもは育つ中で社会性を学び、自分を発展させる力を養う。それを伝えるのがわれわれ保育士の仕事だ。

つまり、この時点で、子どもを叱ったり罰を与えることには、子どもを育てる上では意義が小さいことがわかる。しかし、子どもはそのままでは、わがままになり、社会性のかけらも身につけない。いや・・・それは罰やご褒美がある中でも変わらないか。その中で子どもは抜け道を見つけ、仮面をかぶり、抜けていく。。。

さて、今挙げたプロセスのほかに、子どもが育つ中で大きなものは、言葉の獲得と理解である。すべてのプロセスにかかわるこの2つは、人間の成長を大きく支える。行動やその状況を伝える言葉、あまたの事象を抱えて大きくなる理解。この発達した理解は、4つのプロセスに帰属しなくても事象を考えることができるようにする。

しかし、この二つが4つのプロセスをあいまいにし、凡庸なる人々はそれを理解できないままに使い、問答をしている。

いよいよ確信だが、私は子どもたちに手をあげることをためらわない。それを誰かが暴力だと非難するならば甘んじる。しかし断じて罰ではない。体罰といわれることは心外だ。体罰?それは、子どもが思わしくないことをしたときに手をあげ、その行為と手を挙げたことを連動させることによって、その行為をさせないようにする条件付けであり、そのことによって子どもの心に不のストレスを与え、行為から遠ざける強化である。
では、私がいつ手をあげるのか?
たとえば、後ろを向いている子がいるとする。小声で呼んで振り返る子がいる。大声で呼ばないとだめな子がいる。肩をたたけば振り向く子がいる。肩をつかんで振り合えら背なければ、気づかない子もいる。
刺激の受け取り方は、各々ばらばらだ。個人差もある。状況によっても違うだろう。
私は子どもにいつも何かを伝えたがっている。小声で言うだけで心を得られる子もいる。心がここにない子には刺激が必要になる。肩をたたくか、大声を出すか。その子がこちらを向き、心がここにあればそれでOK。そのプロセスの中に、私はタコ殴りも是非といって是としている。

誰が、自分の可愛い子を叩きたいだろうか。私のクラスの子は、私のものではない。僕でもない。労働者でもない。ただただ、可愛い子どもでしかない。その子が大きくなるために必要なことは、周りの様々な環境から得られる。しかし、そのことに気づく「心」がなければ、その子は大きくはなれない。心を育てるには、まず、心がそこになくては。私は4つのプロセス、言葉の獲得、理解の発達をすべてにおいて支えるのは「気づき」という真のプロセスだと思う。その気づきは軽くも得られ、時に大きなショックが必要にもなる。ただそれだけのことを理解すれば、愛のムチと体罰の違いなどという議論に惑わされることなく、子どもと向かい合うことができるのではないだろうか?

凡庸なる人々に、凡庸なる人の守り神が囁かんことを。

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罪と罰とタコ殴り

『体罰はいけません』・・・わかってますよ!

じゃ、親が子どもをしかるときに、鉄拳を使わないと。。。平和なオカマちゃんの出来上がりです。そんな子どもが大人になって、社会を担う。そのまた子どもの時代にはどんなになるのでしょう?まあ、どうせ、たとえその時代が温いオカマちゃんの時代だとしても、それらは時代の曲がった歯車に過ぎず、暴力的で野蛮な人々が新しい時代を作り、それを制してまた新しい時代が来るのでしょうけれど・・・

しかし、現を生きるわれわれにとっては、この温い子育てがどれほどの害毒であるか。また、その害毒を保護する世間や法律がどれほど『人』の育成に害毒であるか。

保育は教育をも包括する、子どもが大人になる一端を担う行いです。その、保育の場にあって、または学校などの教育の場にあって、暴力をすべて排除する一般の風潮には、ほとほと疲れます。では、一般の凡庸なるみなさん。この暴力や体罰、叱る、怒るの事象について、どれほどの哲学をお持ちでしょうか?

では、その凡庸なる皆さんに私が説いてあげましょう。

まず、子育て、教育、保育・・・すべては子どもが大人になるために、大人が施すプロセスです。その方法には様々なものがありますが、その一つ一つの意味をどれほどの人が考えたことがあるでしょうか?

方法1は褒める。。。ではその反対は?褒めるの反対は何か考えたことがありますか?
簡単ですね。方法2は褒めるの反対、叱るです。
では、この褒めると叱るが同じベクトル上にあるのはわかりますか?
褒めるも、叱るも同じラインに並ぶ、同意義のことなんですよ。つまりは『強化』ということです。何かをしたことに対して、それがいいことであるならば、相手が喜ぶ何かをしてあげる。「じょうずだったね」と声をかけたりするわけです。それを受けて子どもは、今やった行動がいいことだったと理解し、今度」からもそのことをするようになっていく。
逆にやったことが悪いことであった場合、それに対して大声をあげたり、「だめでしょう」と強く言うことで、そのことが悪いことだとわかりしなくなる。ここに人間のプラスの要素として「言葉」の理解が加味されます。しかし、その言葉の理解を除いて、事象だけで見ると、子どもに対して正のストレスを与えやった行動をもっとするように強化したり、不のストレスをかけてしないように誘導していくわけです。〔言葉の理解についてはまた別に話しましょうか〕

この正のストレスの延長に『ご褒美』があり、不のストレスの延長に『罰』があります。

褒美と罰は後から語るにして、次の方法、3番目は強制です。この強制は、たとえば強引にベビーベッドに入れたりすることから、学校の勉強も長い目で「強制」にあたるでしょう。したくないことを、何らかの手段を使いさせる。その中で、何かを伝えたり、気づかせたりするわけです。

最後は条件付けです。これは先ほど書いた「ご褒美と罰」です。何かをすれば、何かを得られる。何かをすれば何かをされる。。。。これは強化を続けるうちに誘発される事象で、私は強化のベクトル上にあって、異質なものだと判断しています。

判断は各々がするとして、どうです?皆さん、何が良くて、何がいけないを言う前に、これらを理解し、使い、判断していますか?

さらに、私が考えるところ、保育に、子どもを育てることに不可欠なものがあります。そして、それこそが、私が、子どもをタコ殴りにすることを是非といって、是たらしめているものなのです。

それは。。。またあとで。。。

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誕生会¥^^¥

月に一回の誕生会。ホールにみんなで集まって、担当の先生が何か出し物をする。。。

今日は即興の人形劇で「狼と7匹の子ヤギ」

何でか、俺がナレーションをすることに(^^;)・・・

ま、子どもたちも真剣に見て満足そうだったし、めでたしめでたし・・・

でもね・・・あの狼って悪者?おなかすいてるから食っただけなのに・・・

かぁちゃんったら、腹を割くわ、石を入れるわ・・・おまけにおぼれても助けない・・・

なんていやなヤギの一家。。。。

もうひとつ、文句を言う作品が。。。あの緑色の少年の話。。。

ワニに手を食わせた挙句、番組のラストでは海に落として丸ごと食わせようとする。。。

船長の手があんなになったのに、罪悪感のひとつも感じさせないあの少年。。。

同名の遊園地を作った白い黒人さんといい勝負だね。

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ももれんじゃ〜

保育園では二月の発表会に向けて、準備が少しずつ進んでる。
わがドン・シモジョウのクラスは年長さん。合奏とハーモニカに遊戯、劇に和太鼓と、まーなんだかんだやります( ̄_ ̄)
最近は劇の構想に頭が痛い日が続いて…
桃太郎のパロディでももれんじゃ〜(-_-ι)
脚本、効果音、振り付け全部俺。あたるもはずれるも俺次第か…おもいな〜…
(*_*)

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なんだかなぁ~

久しぶりにブログを再会して、一発目にこういうのも何だけど・・・

同じ県内で同じ職の男性保育士が捕まった。園児にわいせつ行為をしたとかなんとか・・・

おいおい(▼▼メ) あんまりたのしいことしてくれんなよ・・・

おれたちただでさえそんな目で見られやすいのによ

これじゃ普通のことしてても『なんかやらしいかも』って言われかねないぞ(・・、)

どうせやめようと思ってた職だけど、それでもこれから3月まで、なんか、視線が気になるぞ

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