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2009年2月

ぶっふぉーね

運動会の映像を見ていた

まったく、めちゃくちゃなものだった(-_-;)

私の指揮であれだけとは。。。

まあ、それでも、楽しかった

唯一、心残り

まいまいのフォローが出来ず終いだった

まいまい、気が強いけど、実は繊細な女の子

運動会でも気遅れて、徒走でもビクビクしながら、走るというより歩きで。。。

でも、お遊戯のとき、棒立ちで、声をかけてあげると、ちょっと震えて。。。

子どもにいつも100%でいてあげられたわけじゃないけど、できる限りを尽くさずに今に至る自分に、そして淋しそうなまいまいに、ちょっと気が重い

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報讐雪恨

除州討伐の際、曹軍の旗印

父親を殺された私情によるこの進軍は凄惨を極めた。。。

まあ、その後もずっと、曹操が父の死をも利用して、前門の虎・袁紹を誘う為に都を開けたとか、

もっとひどければ、父親を極秘裏に殺したとか。。。

あだをほうじ、うらみをすすぐ:報讐雪恨

まあ、三国の印象的な一場面では、ある

******************************

で、、、

保育の話

ちょっと、珍しい切り口で、

まあ、知ってる人も多いけど、私の保育は、保育観は、ちょっと他と違ってる

まあ、基本は違わないんだけど、実務の上ではかなり特殊

そこにつながるための、思考プロセスが、まあ、特異と言えば、そうなのかも

なかなか、同じようなプロセスを踏む人間はいないだろうと、そう思っていた

が。。。

いたよ、いた

それも2人

それも女の子

一人は奔放だけど実は繊細、一見楽観的な思考プロセスは半端ない知識と見識に裏付けられてる

一人は温和で控え目、実は剛直。惑い、迷いの過程を経て結実のタイプ

ただ、この動と静の二つがちょうど私の思考プロセスの両翼だから、まあ、2人コンビでちょうど、ってとこ

それでも、まあ、ちょっとびっくりだったね

迷いのプロセスも半端ない無双の資質だったけど、その裏打ちのある奔放さは、正直私以外にもまだいたかってほどのサプライズ

無残にも開花できていない2つの資質だったけど、一緒に働いているうちに、いい具合に回り始めた

まあ、2つに別れてるんで、それなりに凸凹したりするし、暴走したりするし。。。

なんせ、私の心の葛藤が具現化してるようなものだから。。。

どうかな?って思っていたのは、2つの資質が女性であったこと

男性が隠れ蓑になることが多い私と違って、女性であれば、それがよく働くか、悪く働くか。。。

それは、今後のお楽しみ

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火中の栗

『起点0』と『0』の違いについては、前にも書いた

『0』をひと括りで考えることには、限りなく、本質の見落としがある

逆もある

『褒めて育てる子育て』は、持ち上げられて久しい

合わせて『怒る、叱る』はベストではないとの考えも、根付いてきた

しかし、この二つは同じベクトル上にあることを、きちんと認識できているだろうか

叱る、怒る、褒める

これらは、すべて条件付けというレールの上での話だ。

条件付けする側の価値観、それによる。

条件付けがいけないわけではなく、方法論としては、肯定するべきものである。

問題は、一方の条件付けには肯定、もう一方では否定

では、その境目は?

価値観が、人物、時勢などで動くのだから、

その境目はさらにグレーゾーンになる

保育の現場で、それを正して、子どもに伝えることができるだろうか?

この点を考えると、あるいは、あたらしい保育の道が見えるかも?

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チョコレートの箱とタイタスの涙を吸う大地

ポワロの唯一の失敗、チョコレートの箱

しかし、これは失敗ではなかった

詳しくは、『チョコレートの箱』を。

ポワロが老夫人への配慮で失敗としたことを、持ち前の自尊心で失敗ではないとしたのは、もうずいぶん時が経ってから

『私のチョコレートの箱』は。。。

ダンデリオン、もともとは、君がはじめに思ったようになる予定だった。

黒を白に、白を黒に

それは君の知る通りだ、実際に、

絶対にありえないような、しかし実際はありえた

そうなったのを見ただろ?

私がそう意識しなくても、それはもう、歯止めのないものだったのだよ

実際に私が勝ちに行くためには、私は何もせず、器を広げていればよかった

しかし

そこまできて、問題が出てくる

そうなった場合は、本人が重さに耐えられない

本人がその呵責と向き合うためには、どの結果になっても、自分で道標をたどる必要がある

物事を加速させる必要が出てきた

それが私の都合に合わなくても、

そこで、君の出番だ、ダンデリオン

君は思った通りの動きをしてくれた

しかし、、、

最後でこの戯曲には、、、

違う音楽が、、、

限りなく不快な、、、

限りなく卑劣な。。。

ここから先は、私の知る由もない。。。

私はタイタスよろしく、大地に涙をくれてやる結果に。

哀れなのは、君たち護民官。

暴君サターナイナスを口汚く罵っておきながら、その暴君の威を借りる結果を、恥じる心はないのだろうか。

サターナイナスはタイタスの栄光をたたえながらも、その功績を踏みにじる政治を行っただろう

護民官は、それに媚びへつらう輩になり下がったのだろうか

罠に落ちたタイタスの子どもたち

護民官はローマ市民の代弁ができただろうか

ローマ市民を、タイタスの残された子どもたちを、守ることができただろうか

さて、チョコレートの箱がピンクの蓋に緑の箱

緑の蓋にピンクの箱

いつか、箱の色をそろえるときが来るだろうか

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びーまいふれんど ゴッドファーザー?

びーまいふれんど ゴッドファーザー?
アメリゴボナセラとのやりとり
有名なゴッドファーザーのオープニング
ま、そんな感じで

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本当の目的

ゲーテの野バラが男女の関係の暗喩である

と、言うのは、言うまでもないことだけれども

で、あれば、男が単に純粋な『悪』というか

愛らしき掠奪者であると、

そう書いてあるかというと、そうとばかりは読み取れない

野バラにはその麗しき魅力があり、その魅力はやはり、

ミツバチ等を招くためのものであるとすれば、

招かれた者だけを悪者と指させるだろうか

ではちょっと論点を変えて、

もし男の子がバラを手折らず、見ているだけだったら。。。

いやいや、見ているだけならば何も物語は始まらない

では、バラを見つめ、愛を語るだけだったら。。。

ただただ、平和がめぐる緑の中で、鮮やかに咲くバラ

ある日男の子がやってきて、自分を奇麗だと言ってくれて、そのうち愛を語るようになった。。。

もしそうならば、この詩は違った内容になったかも

バラの男の子への想いを綴った歌になったかも

そのうち、自分から手折って連れて行くことを望むようになるかも

。。。でも、それでは。。。ねぇ、、、

やっぱり、男の子が手折って、手折られたバラは虚しく。。。

まあ、それでこそ名文なわけで

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うん ばっろ いん ますけら

雨と日の光は、庭の植物にしっかりと春の訪れを伝えているようで、

いっせいに、芽吹き始めた

沈丁花は咲き、遅く植えたビオラも株を大きくしている

サラブレッド堆肥も撒き終え、まっぽし君も週1ペースに戻した

植える場所が庭になくなり、鉢植えが多くなった昨年

今年はそれが咲きそろう初めての年

手間をかけずに、きれいでたくさんの花を咲かせる

それも、金もかけずに

庭の楽しみは金持ちだけのものじゃないだろ?

今まで避けてきたアンジェロやバレリーナなど多花小輪四季咲きのものも多く入れたので、賑わいも増すだろう

たのしや五月、そぞろあるき

春への憧れを、気がつくと歌っているこの頃

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前奏曲

呪いのテーマと言われる、前奏曲

悲劇を暗示する、鬼気迫る響き

リゴレットの前奏曲は、単調だが、その物語をよくあらわしている、劇的なものだ

奏者の解釈によって、かなり印象が違う。。。

私はそう思う

ほとんどの演奏は、主題を、少しずつ強調しながら、つまりフォルテをかけながら繰り返して山を作る

で、一旦結んで、それからもう一度テーマを出して劇的に閉じて、対照的な一幕一場につなげる

そんな演奏が多い中、たまに、主題をまとまりとして繰り返すのではなく、まるで波状攻撃のようにたたみかける様な演奏がある

それを聞くと、それはそれで『リゴレット』の世界を現しているんだなと、ちょっと意外な、面白い発見につながる

片方は、象徴的に現れる『呪』

片方は、逃れられない運命の『波』

これから始まる物語に、一気に引き込んでくれる

そして、幕が上がり

意外なほど対照的な一幕一場

王様の乱痴気騒ぎの幕開けになる

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とんでもない人間劇

好きなオペラは?

と、聞かれたら、間違いなくこれを挙げる

一言で、とんでもないドラマだと思うから、だ

人間のさまざまな感情が、滑稽なまでに描かれている

描き方は、つまるところ劇的、、、というか芝居がかっている

まあ、芝居だから

そのあといくつも出てきた、人間心理や出来事をリアルに描こうとするものとは、違う

それ以前にあった、物語を物語として描こうとしたものとも、違う

人間の心に隠れた、、、というより隠そうとする内面を、誇張して描いている

人を嘲笑う生業を忌み嫌う心情の吐露と、それでもやりすぎのように人をこき下ろす主人公

それがあまり良い仕事ではないのはわかってるのに、やっているとそれはそれで手加減はない

人を馬鹿にするときって、そんな気持ちが、なくはない

あとでは後悔しても、その時は楽しんでる

次々に女を替える王様

そのそれぞれに愛の言葉を贈る

嘘で、相手をだましてモノにしよう。。。って魂胆ならまだしも、

言ってる言葉にはウソはなく、王様本人は詫びれもしない

王様は、それ以前のことはホントに忘れてる。。。っていうか、本当に気にしてない

熱中すると、他が見えない、そんな気持ちも、人間、なくはない

誘拐、、、

犯罪の場面なのに、心ウキウキの音楽

女をさらって、相手の悔しがる顔を見てやろう

自分たちのやろうとしていることがもたらすことで、心躍らせる廷臣達

傍から悪いことだとしても、自分からしてみれば面白い、そんなこともある

雷、風、雨、迫る時間

何かが人の行動を追い立てて、ありえないようなことが起きる

そんな経験も、みんなある

それが描かれているのが

リゴレット

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不思議な角笛

マーラーのオーケストラ伴奏の歌曲集

内容は民間伝承の詩歌を文学的に手直しし、曲をつけたもの

何か小説がきっかけで聞きたくなって、初めて購入したCDは、ディスカウとシュワルツのもの

ところが、この2人がものすごいインパクトで、それ以降、どれを聞いてもねまって聞こる

特に少年鼓笛手での、迫力・勢い・緩急・陰影

たぶん、やりすぎ以上にやりすぎてるんだと思うけど、一度聴いたら忘れられない

そして、この演奏が、不思議な角笛とハーメルンの笛を、心象的に一緒にさせている

各地で起こった、ちょっと影のある話を集めた曲集と、町に鳴り響く、子どもを魅了する笛の音

そして、そこまで考えると、次に出てくるのはバッハのバディヌリ

一連の音楽がぐるぐる頭で回り始める

ヒマがあれば一度聴いてみては?

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大人はウソをつく

クラスを受け持つとき、はじめに約束をする

『ワシはヌシたちに嘘をつかない。』

そして、クラスが動き出す。

保育をしているとき、騙して何かをさせたり、その場しのぎはしないことにしている

『目をつぶれ、下を向け!!』

それはちょっとしたことから始まる

たとえば、石鹸

手洗いの石鹸はぶら下げタイプではなく、石鹸置きに変えた

常に濡らされているぶら下げタイプは衛生上よくない。。。ような話を聞いたからだ。

石鹸置きは備え付けではないため、置き場所に困って、手洗い場の上に置くことにした

使うときは、それを降ろして、終わったら元に戻す。。。

ところが、時にこれが戻っていないことがある

で、誰かが報告に来る

『せっけんをもどしてないひとがいます』

みんなに聞いても『~くんでしょ』

と、どうどうめぐり

で、みんなを集めて。。。

『目をつぶれ、下を向け!!』

『石鹸を最後に使った人?』

・・・誰も手を挙げず。。。

『もしかしたら、石鹸を最後に使ったかもしれない人?』

すると。。。何人からか手が挙がる

『じゃ、あとから元に戻しといて』

で、目を開けて、何もなかったかのようにいつものクラスに戻る

。。。そのあとしばらくしてみると、石鹸はきれいに置いてある

大人はウソをつく。。。子どもは大なり小なりそう思ってる

子どもにはまっすぐでいてほしい。。。これは間違ってない

でも、だから『嘘をつかない強い心を』っていうのは飛躍しすぎてる

何かが会ったとき、つまり嘘をつかなければいけない何かがあったとき、それを解決するためのプロセスを一緒に踏んであげられる保育士

そうありたいといつも思ってきた

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お値打ちな一日

朝からつるバラの誘因の調整をし、鉢バラの置き場所の調整をし終えたのがお昼過ぎ

で、ちょっとブラブラしてみた

、、、久しぶりに『かあちゃん市場』によってみる

かあちゃん市場は、隣の村。。。村であってるよな。。。村の収穫物を直売している、ディスカウントストア敷地内のお店。。。

うーん。。。わかりずらい説明になった。。。

で、王林を39円で発見。

とりもあえず5玉購入。。。これで200円に満たない。。。

これは上げ潮では?。。。と、自分の幸運を信じてやまない私としては。。。

速攻でホームセンターに。。。バラは。。。だめだ安くなっていない

。。。自分の幸運には自信があって、これはいけると思ったら、結構続くんだが。。。

一度セブンでガリガリ君を勝ったら『アタリ』の文字

で、当たりを交換しに行って、また『アタリ』。。。で、またまた交換で『アタリ』

。。。そこで、考えた

もう一度今日交換に行くと、店内のガリガリ君には当たりがないのでは?

。。。しかし、今日は上げ潮。。。と思ってセブンに行くと、おばちゃんがアイス補充中

『間違いなく上げ潮』

と、買うと。。。。やっぱりアタリ

どこまで続くかもう一度と思ったとき。。。急にやる気が失せて。。。結局次でゲームオーバー

なので、いけると思ったら結構いけるものなのだが。。。。

今日は気のせいか。。。

。。。

。。。

。。。

みーっけた

ビオラ・パンジー、ブランド苗が60円均一

いつもは380円苗が60円

10こ買って、植えて、コーヒー飲んで、これを書いてるわけである。

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歴史の道標

おおよそ歴史の勉強を本格的に始めるのは、義務教育では中学校からで、多くの人はそれが『歴史』にかかわる大部分になるのではないだろうか。

で、私が中学で歴史を習った頃は、行ってみれば平面的な、一方的な内容で終始していた印象がある。

時が移ろい、今の教科書を開くと、そこには歴史のあいまいさを表に出した記述が多い。『伝~像』のように、肖像画の元がはっきりしていない物に注記が入ったり、呼称も親しんできたものと違ったりする。

悠久の中で、勝者・敗者が何度も逆転し、時の権力者によって称賛する対象が変わったりしてきた中で育まれた『歴史観』を多面的に捕えて、事実に正確に。。。

ということらしいが、いざ文章で歴史をとらえたときには、やはりその『面』で切り取られたようになると。。。私は思うのだが。。。

たとえて、異なる2,3のとらえ方を書いたところで、それが、その事象にかかわった人のとらえ方を全て真に得ているわけではないだろうし。。。

では、事実だけを書くことにしたとして、出来事は書けたとしても、そのプロセス、特に意図や心理が『事実』ではないとは言えないだろう

では『出来事』だけの記述ではどうか。

『南京で虐殺がありました』

『南京で日本軍が虐殺をしました』

『南京で日本人が虐殺しました』

『南京で日本軍の~が虐殺をしました』

『南京で多くの人が亡くなりました』

どれも出来事の記述としては、間違っていないけれど、出来事自体に捉える方向性が付きまとうものだということではないか。

こうなれば、あとは方向性をどこに持ってくるか、である。

教科書の様に、遠い昔を映しているものであれば、そんな話も考えつくが、、中々どうして『自分史』の中ではあまりそんなしてんは浮かんでこない。

しかし、自分の生きてきた、さまざまな事象も、実は多面的にとらえることで、ちょっと違った意味が出てきたりするものだ。

自分の歴史の道標、探してみませんか?

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