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2009年1月

月下独酌

庭のバラの誘引のコザコザを本日終えました。。。

で、手は流血、流血、、、

世にあってこれほど凶暴な植物は、ほかには見当たらないでしょう

餌を喰らい、手を傷つける、まさに猛獣級

今年の冬は、万全の構えでいるので、野獣も春には華やかに舞ってくれることでしょう

今年の冬の予定は、あとは、酸性水モドキでの完全消毒+まっぽし君での放線菌増加作戦+馬糞堆肥とまっぽし君でのドーピング

しかし。。。

冬は写真があまりないので、退屈なブログになってるね

で、酒の話でも

もっぱら日本酒の私

随一のオススメは『李白・月下独酌』

間違いなく、最高に香り華やかで飲みやすい日本酒

でも、ちょっとお高いイメージが。。。

で、もうちっとお手頃な物で『出羽桜・桜花』

香り華やか、フルーティー。

飲みやすく、清々しい。

他にも『郷の譽』や『浦霞』など、基本的に水のように飲みやすく、香り華やかなものをローテで飲んでいる。

でも、やっぱり月下独酌

最高の日本酒です!

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脾肉の嘆

竜が深淵に潜むのは、大雨を待って天に昇るため

でもね。。。

正直、日々日々、深淵に潜むのって、耐えがたい恥辱なんよ

天に昇る翼も、駆ける足も、喰らう牙もありながら、それを自戒の鎖で閉じ込めて、

まるで達磨の刑罰

そして、揶揄して『脾肉の嘆』だなんて

。。。。と、ブログで一言愚痴ったドンでした

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知識・学問は高い低いの差別はない

学問だけを争う場面ではそれは浮き立つが、つまるところそれを役立てるかどうかに本質がある

まあ、さらに言えば、様々の場面で役立つためには高い見識に越したことはないが。。。

また、それが活かされる場面にあって、それを活かすべく動いた者にこそ、智があると言える

また、智はほかのすべてのことに関連する

たとえて、仁のない知識は智とは呼べないのである

そこに大義のない、仁の心のない知識による『計略』は、人々からそしられるのである

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人に対する優しさ

簡単にいえば、そう言えるかもしれません

人にしてその徳の中心になるのが、仁と言えるでしょう

対になるものとして,義があります

同じ相手を思いやる心ですが、仁が施す優しさ、思いやりなのに対して

義は、報いる思いやりと言えるでしょう

単純に上から下への仁、代償としての義ではなく、それは損得に関係なく、またてらいもなく、

人としての鏡として、相手に無償に与え、また、信念として返す想い

それが、仁と義であると考えます

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たまには歌の話でも

音楽家の家系ではない私が、いわゆる声楽の道に入ったのは。。。

って、これ、前も書いたかな。。。

まあ、いいや

中学で、シューベルトの魔王を聞いてから

ぞくぞくする凄味と、ベルベットのような声

その取り合わせで聞いた魔王は、たちまち私を引き付けた

聞いたのはフィッシャー・ディスカウ

まあ、中学の音楽で聞くのはプライかディスカウのどちらかがほとんどではないかな

で、とりあえず、独学で歌う、歌う、歌う。。。

とことんやって、こんなもんだろ。。。って思ってた

高校になって、親との約束で、公立入ったら声楽習えることになってたので、

とりあえず音楽の先生の所へ

『声楽を習える先生を紹介してください』

そんな感じで言ったら

その先生は、アンパンマンみたいな、プリングルスみたいな顔して

『ここらで一番の先生は、俺だな』的なことを

かくして、そこで習い始めた

でも、練習方法は、なんか、変

咳払いみたいなのを連続してやったり、痰を切るようなことを連続してやったり

で、イタリア歌曲集に入る

巻き舌の練習と称して『札幌味噌ラーメン』と何回もいわされる

片足立ちで歌わされる

ボーリングのフォームしながら歌わされる

2年くらいして、なんか、掴めたような、掴めないような。。。

でも、不思議なことに、歌は歌えるようになってきた

声域も伸びたけど、それよりも、体が楽器になってるのがわかるような

よく見るような『ラ・ラ・ラ・ラ・~♪』みたいな練習もないし、コンコーネみたいなのもしないけど、俺、歌えてるよみたいな

コーンクール行くと、入賞者はみんな音大なのに、その中で映えて『保育大学校』みたいな

それって、ちょっと自慢happy01

今はしばらく修行からは離れてるけど、それでも日々、その時の練習をちょっとだしで続けてる

その時の気分で歌って恥ずかしくないくらいには、歌えるようになった

声楽を目指すときは。。。まずは良い先生との出会いかな

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名を惜しめ

つるバラのジャングルを切り開き、やっと、庭が整然としてきた

意外なことに、バロン・ジロー・ド・ランが鬼のように張り出してきている

ツーヤンフェイウーの横に、持て余して植えたショッキングブルーも、茨のような棘をむき出しにして張り出している

誘引にかれこれ3日ほどかけたが、まだ、手を入れなければならない

狭い庭なのに、つるバラがあるだけでこんなにも違うものか

春の花を楽しみに、今ひと踏ん張り頑張らねば。。。

┐(´д`)┌ヤレヤレ

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ほうけんここにしす

どうしたね?

何か気になるかい?

それとも、何か仕掛けてくると?

大丈夫、そう思っているうちには何もないよ(*^m^)

しかし、因果応報というか、結局は君は、君たちは自分の影に怯えることになった

自分でドアを開けておいて、その向こうの暗闇が怖くなる

解決方法は実に簡単なーのだ★ver.きらきらぴんく

自分でドアの奥まで行って、そこにあるものを見極めるのさ

開けたままだといつまでも暗闇が気になる

ドアを閉じれば、尚のこと向こうが気になる

はじめから、というより、ことが起きる前から言ってるじゃないか

さあ、

とぅーびー?おあ、のっと?

ざっつ いず ざ くえすちょん!

おーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーいおーるわーくあんどのーぷれいめいくじゃっくあどゅるぼーい

自分のテリトリーに相手を誘い込む

これは作戦として、どんなことにも通じる

対人関係でも、仕事でも、たとえて恋愛でも

テリトリーは必ずしも構えて用意するものじゃない

その状況を、自分で活かせるなら、それがテリトリー

『そんぴん』だったか。。。

逃亡中に、自軍の野営の跡に残る竈の数を、野営の度に減らしたのは

 

 

後を追う『ほうけん』はそれを見て、離反者多数と見て猛追撃

最後の日、竈の数が一網打尽の数になったのを見て、夜通しの追撃をした

夜中、道すがらに大木があり何やら字が彫ってある

そんぴんの悪さと思ったほうけんは、篝火でそれを確認

そこには

『ここにほうけんしす』

の文字

闇夜に照りだす篝火に向けて無数の矢が放たれて、哀れ、ほうけんは討ち死に

『追撃をしている』ということに疑いを持たなかったほうけん

『追撃をされている』ことを作り出したそんぴん

 

 

テリトリーと虚実の妙は、表裏一体ということか

 

庭の植物も、。。。

住まう動物達も。。。

流れる音楽も、珈琲の香りも。。。

我の布きし玄妙の陣立て

それが、『ドン・シモジョウの庭』

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安楽公

チョンモがまだお腹にいるとき、私の勧めで三国志の漫画を読み始めたチョンモママ。

ものぐさな彼女が読み終わったのは、チョンモが生まれた後だったような。。。

そのとき、最終巻を読み終わった彼女は目に涙を溜めていた

感動ではなく憤りの表情だった

読み進める途中に俺から

『最後はね、何コレ、って終わり方だよ』

って聞かされてたけど、それが図に当たったみたい

はぁ?

憤りと落胆が混ざった、そんな声が今にも聞こえてきそうな顔して、目を真っ赤にして

小説やテレビに涙を流すやつの気がしれないって。。。そんな考えの俺だけど、

その時は、素直な感情表現ができる彼女に、ちょっとうらやましいような、そんな気がしたものだった

三国志で、蜀にスポットをあてた話は、2代目の皇帝が占い師と宦官の話を真に受け、降伏する、およそ武勇に関係ない話で終わる

捨扶持を貰い、昨日まで敵だった相手の酒を貰い、祖国が恋しくなどないと平気で言い放つ

そんな阿呆な2代目

映画『赤壁』では、趙子竜が曹軍100万の中、単騎で守り抜いた宝の子として登場するけど、それも三国志ラストまで来ると、

『あの時助けなければ』

みたいに思われる

まあ、徳川15代将軍と同じで、長期の戦いを避けるために和平を求めた隠れた名君的な評価もあるけど。。。

武勇譚の三国志にあって、あまりに苦しいその幕切れに、

かえって『こうはなりたくない』と反面教師のように見えるのも、また滑稽である

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国の鼠

何度か紹介した『見守る保育』

このおじさんが提言してる。

賛同する保育園は多くはないが少なくもない。

拒絶する園もある。

色々理由はあるが、誤解も少なくない。

ひと昔前、『自閉症』がその漢字体から、今でいう『ひきこもり』と勘違いされたよう、

『見守る』ので、放任保育や自由保育と思われる誤解はかなりあると思う。

でもね

こういった他愛もない誤解は、まあ、それなりよ

タチが悪いのが、自分の都合の良いように、この保育を解釈する園。

えてして、保育業界が競争性を高める中で、差別化の題目としてこれを取り上げ、その実、都合のいいとこだけの張りぼて保育をしてるとこ、少なくないよね

熊本市では、公に『やってます、取り入れてます』ってとこが4園+1園

その+1園は導入検討中、もしくはちょっと勉強中ってとこ

4園の中には幼稚園が1つ含まれてる

まあ、仲良しグループで勉強中。。。ってのが建前だけど、実際は。。。。

愚僧の見るところ、これで『成功してるよね』って言えるのは1園のみ

それ以外は、、、、うーん、、、箱物保育実演中。。。

見守る保育の基本に、環境を通しての保育が挙げられ、時間、空間、物、人などを揃えるってのが謳われてるんだけど、それって目に見えやすいから、たいていはそこから用意するようになる。。。と思われる

クラス編成を変えてみました!!。。。異年齢で生活し、相乗的な成長を。。云々
で、これで、年齢による保育活動ではなく、習熟度別での活動が。。。云々
しかも、活動を選択できるように。。。云々

でもね、運営してる先生たちに聞いてごらんなさいよ

『自分の保育園に、自分の子どもを預けたいですか?』

『見守る保育って何ですか?』

『子どもって、どう変わっていくんですか?』

『それって、子ども楽しんでますか?』

『その方法での保育は、子どもの将来にどう影響するんですか?実際、そんな風に影響が出るような保育をしてるんですか?』

見守る保育には、もちろんその答えがあります。

『見守る保育』には

それをまねごとで箱物でやってる園では、まあ、プロパガンダの園長は何だかんだ言うでしょうけど、実際に運営してる先生たちが、それを理解し、説明し、実践できてるでしょうか?

それは、大変不幸なことに、できていないでしょう。

『0』と『起点0』の違いがわからない人間が、

罪と罰、条件付けと信賞必罰を感覚として理解できていない人間が、

それを包括する保育理念を眼目に、それ用の箱物を使っての保育なんぞ出来ようはずもない。。。と思うのです。

人は城、人は石垣、人は堀

保育も、また最後は『人』が大きな存在になってきたとき、環境要因の中核『人』を作らず、形や物ばかりを進めても、滑稽なだけでしょう

ついていけてない『人』が用意された箱の中で動くには、それなりの潤滑材が必要です

それがあり、かつ、人が育ちつつあると思われる園は、熊本には1園

残りは、、、先生たちの怖い顔、きつい顔疲れた顔が目に浮かびますわいな

このおじさんは、この窮状をどう思うでしょうか。

そもそも、見守る云々は、このおじさんが提言したものではあっても、在来の保育には潜んでいた考え方です。

このおじさんは、識あるものに滑稽に見られても、無知な人間に広めるために『布教』して回っているのでしょうか

それとも、周りが無知すぎて、結果担がれたのでしょうか

それとも、無知ではなく欲深な周りのため、金の仔牛として祭られたのでしょうか

いずれにしても、本来の意味とは違って解釈されたり、勝手にその基本理念を曲げられたりしては、迷惑な話でしょうに。

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戦の道は

心を攻めるを上策

城を攻めるを下策

この言葉が出てくる有名シーンは、馬幼常が諸葛孔明に南蛮攻略の軍略を話すところでしょうか。。。

このシーンのため、この言葉は『心攻』つまり、情を絆すことを指すように解されています

が、

この真髄は、

戦をするのが人であるなら、動きはすべて人の考えである。故に心理戦をまず制すべきである。

が、妥当ではないでしょうか

闇雲な実戦を行えば、被害は大きくなる

相手の考えを読み、その策略を覆す軍略を立て、それから実践に移すのが良い

その中で、心攻や篭絡なども方法論として出てくる

そんなものではないでしょうか

まあ、南蛮攻略があまりにそれにはまっていたために、仕方がないのかもしれません

そんなことを、コーヒーロワイヤルの青い炎を見ながら思った

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先ず勝って、後に戦う

『孫子』の一文

つまり、勝つ戦いしかしない。。。というとちょっと語弊があるか。。。

勝算を見出してから戦うべきだという解釈が妥当かもしれない

しかし勝算云々の前に、孫子を読み解くうちに、『勝ち』の定義を柔軟に解釈することこそ、戦略の立て方の中心になることが解る

勝ちの意義を見極め、それを得うる戦いをするべきだ

先の一文もそう見えてくる

信長や曹操などは、戦場での勝ち戦と覇権をとどろかせることで『勝ち』の人になった

実際は負け戦を何度も経験しているが、その人を見るときは『勝ち戦』の印象が強い

司馬仲達は諸葛孔明との戦いで、負けないことを『勝ち』として、事実負けていない

戦略を立てて、それに沿って局所の戦術を組む

局所の負けは必ずしも『負け』とは言えない

広く視野を持ち、発想の柔軟性を大切に。。。。

なんて言葉は昔から言われ続けてるけど、中々励行できない

少し知るようになると、負けの事実をそこに転嫁しようとするようになる

力があれば、強引にねじ伏せて負けに勝ちを見いだせる

けど、そんな能力がある人は少ないし、その力がある人でもあくまでもそれ相応の材料がそろったときのみの、荒技になる

勝ちを見据えるには広い視野と、それを得うるタイミングのつかみ方、そして、自分の力量を計る心眼を、気負わず持ち続けることが必要になる

兵法を図りだしてこの方、常にそれぞれの『勝ち方』を意識している

多面的な見方、様々の価値観それを知るとともに

それを見いだせなかったとき

いかに自分のテリトリーを敷き、相手を引き込み、負けを勝ちに転じるか

行動力がない分、不憫三寸の舌でそれをなし得る力を。。。。

そのうち完成させてみせよう。。。。

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べあた まりあ

また今年もこの日がやってきました

これより2週間、受胎告知週間が始まります

あれから3年

月日は移ろい、まるで何かの戯曲のように、

いろいろなことが過ぎて行きました

そして、また、この日

アヴェ マリア

大天使ガブリエルが告知をしたほど、神々しい光はないけれど

その子は、すくすくと大きくなり

今では、小さな女王様に

これからの日々に栄光あれ

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