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2008年12月

日々是好日

年も詰めてまいりました

今年も『不好退屈』の旗印の下、本当にいろいろあった一年でした

多くの子どもたちに出会え、生活を共にし

私の人生で数少ない、仲間と呼べる同輩にも出会いました

保育士を続けてきて、はじめて『働いている』というほど忙しいというか、手間がかかるというか、そんな仕事をした日々でした

また、保育観にも新たな着眼点が見つけられました

いままで嘯いて『天賦の保育士』とは言っていましたが、自分の保育観が今まで接してきた先輩先生や子どもたちから育ててもらってきたことを実感しました。

良い一年であったと言い切れない歯切れの悪さもあるのですが、よい出会いに恵まれたことに、久しぶりに『感謝』という言葉が頭によぎりました。

来年も、そんな出会いの一年であるように、日々是好日の精神で精進していきます

よいお年を。。。。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。?

さて、問題が。。。

よいお年を。。。。の続きは?

『お迎えください』であれば、来年への期待

『お取りください』であれば、今年一年の平安安堵と感謝

言葉を途中で切って濁すのも、日本人の美徳でしょうか

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あまでうす

戯曲あまでうす

映画化されて、とても有名なりました

おかげでサリエリはとても悪名を上げることになりましたが。。。

*サリエリはシューベルトなどにも教授した良い先生であり、すぐれた音楽家の一人でもあるのです

この戯曲の中で、サリエリはモーツァルトと対峙し、その才能の違いに嫉妬し、創造した神をも恨み、ついにはモーツァルトを殺してしまうのですが、

しかし、それは悔恨と自暴自棄と、真の自分の存在意義への侮蔑の始まりでもあった。。。という内容です

ここで、『真の自分の存在意義』とは?。。。

それは『凡庸な人間の守り神』というもので映画は締められています

凡庸なものが、天才を恨み、また、追い落とす

歴史の中で繰り返されるその一幕の中にあって、モーツァルトほどの天才に対して、凡庸な自分がどれほどの無情さを感じたか、そして、世にいる多くの凡庸な人間思いを自分は解り、受け止め代弁できる

まさに守り神なのでしょう

面白いものを見つけました

これです

園の現状は、まあ、そんなもんでしょう。

しかし、離反者については少し間違って伝わっているようです。

裁定者はどうしようもない人間でしたが、追い落としたのはそこにいる凡庸な方々です

その凡庸な人間は、サリエリと同じように、正当化しようとする心と、欺瞞に満ちたその心への反発で、心を苛み続けるのでしょうね

カルマ。。。そんなものでしょう

やったことには、必ず結果が伴うものです。良かれ、悪しかれ

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茶の湯の心と神との対峙

昨日は私の母校の最後のクリスマス茶会に出向いた

今年で廃校となる

部員は今では最終学年の3人のみ

斜陽という言葉が妙に頭から離れなかった

で、私はずっと門前の小僧をやっている

大学校で茶道部:部員では『ちゃぶ』の愛称で呼ばれていたが:に、お菓子につられて入部し、もともとのダボハゼ根性で2年間はハマって稽古に打ち込んだ。

先祖伝来の着物がちょうど良い寸法で、外内ともに『茶人』気分を楽しんだ

茶道をやっていくうちに、その内容の深さに歌劇にも似た総合芸術性を感じるようになった

茶道は、主客の礼儀、もてなしの心、禅・儒学、諸動作の流麗さ、道具類の見識、書、華道、茶の味、点心などの料理、庵の形式=建築などなどただの数畳の場所で無限の世界が広がっていく

稽古のうちに、それは囲碁などにも通じるものを感じるようになった

19×19のマス目で行われる、白黒の陣取り合戦

ところが戦のうちにその19×19が無限の石陣のように感じだす

白黒で違いのない石が、その一刻一刻で違う役割を演じ、さながら本物の戦のようになる

数畳の庵の中に、無限の星霜を感じる茶の湯も、それに近い感覚で見ることができる

その時の主客の面子、季節、時刻、道具、茶、菓子、いろいろなものとで一時として定まらず、無限の世界が広がる

伊井大老が一期一会を題目にしたのも、このあたりをさらに深く考えたからだと思った

で、昨日の茶会での話

師匠が、今の部員の話をしている中で

『お茶は人に見られることで大成する』といったことを言った

私はついつい、『いやそれはどうでしょう』と、いつになく茶の湯のことで師匠に言葉を返してしまった

というのも、それは常々、茶の湯の危うい側面だと思っていることだったからだ

形を奇麗に、そして主客があっての茶の湯と考えると、それはあながち間違いではないし、図に当たっていると思う

が、そこを茶の湯の入り口にしてしまうと、心の置き処が違って成ることが少なくない

その部分が大きくなれば、心配りができないのに事よせて大茶会を催したり、高価な道具の見せびらかし会になったりするのではないだろうか。

もともとは自分を引き締めるために『見られている』という意識付で、また稽古では相手の点前を見て自分が見取り稽古をしたり、相手に教えたりもするので、何の事もないのだけれど、門前の小僧である自分が多くの茶会で見てきた『偉い師匠連中』は、それをどこかではき違えたような人く、その度に減滅したものだった

今、社会人になり、稽古としては席に入っていない

それでも志は腐っていないと思っている

茶の湯は主客のこころであり、そして、容を極めることで大成すると思っている

容を極める、それは『神との対峙』であると言える

偶像崇拝のそれではなく、

たとえば『自分の心を偽ることはできない』と言ったとき、自分の心の中に内在する欺きがたい自分自身との対峙が、畏怖の対象となり、すなわち神である

自分自身との対峙のためには、それに見合う見識が必要となる

精進とはそういうものだと思っている

そして、エゴイスティックにならないためにも、見識は広く持つべきだとも思っている

稽古では、師匠連中の教絵は勿論、自分の持てる見識もフルに使い、

明鏡止水の構えで自分と対峙する

一期一会、その時に臨んだら

連なる石陣を単騎で駆け抜けるように、主客の交わりを楽しみたいものである

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敵は愛する者を狙ってくる

ゴッドファーザーの中には多くの訓話が出てきます

そのどれもが、古くから東西問わず言われてきた言わば人類社会の教訓です

こういった教訓は、ゴッドファーザーに限らず名作には、フィクション・ノンフィクション問わず散りばめられているものです

そして、そのどれもが、至極当たり前で、そして、励行するのが難しい

なので、それを見て『なるほど』と思いつつ、自分の経験に重ねたり焦がれたりして、それが『名作』足り得るのではないでしょうか

敵は愛する者を狙ってくる・・・

これを考える上でさらに次の言葉も重要になってきます

『すべてをかけることができるか』

たとえどんなことでも、それをやったことで起きえるすべての『結果』を受け止めなければならなくなる。つまりそれは、自分の持っているすべてを失うようなことにつながったとして、それを受け止めるだけの覚悟が必要だということを指していると思います

『漢』:オトコの世界観は三国の時代から東西問わず変わらない美学があるようです

で、本題

そろそろ冬のお手入れの時期です

枝の剪定、誘引をして

定期の施肥をして、、、、

今年は裏に貯めてある土に米ぬかと、えひめAIを混ぜて土づくりをしてみようと思います

バラ用ではなく、春からの鉢花用に

バラには変わらず腐葉土と馬糞堆肥を用土として使い、ミリオン、カニ殻、ニーム油粕を施します

液肥はまっぽしくんで

庭には大きな変化はなく、今年が終わりそうです

かわいそうに手入れを全くしなかったため貧弱な薔薇のジャングルになった今年ですが、来年はちっとは回復できるように、この冬はしっかり手入れして、春先までキープです

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明日は

いよいよだね

私の子どもたちはどんな笑顔を見せてくれるのだろう

しっかりと楽しんでくれればいいのだけれど

そして、私のファミリーも

楽しめるかな?

不好退屈の精神で

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こーざのすとら

映画ゴッドファーザーのラスト際、物語のかなり前の部分から裏切り者として描かれている身内に対するドン・マイケルの対応

裏切り者としてバレバレな彼に、状況を丹念に説明し、安全を諭した上で、自分の口で裏切りを正直に言うように諭す

横に座り、酒をすすめ、『身内だから殺さない、でも、馬鹿にされるのは我慢できない』と言うドン

裏切り者は裏切りを告白し、、、、家を出たところで殺される

まあ、小説と大筋変わらないシーン

結構心に残るシーンです

キーポイントがいくつかあって

1:自分で認めさせる

2:疑いがないところまで突き詰める。

3:最後まで話す、最後まで相手と対峙する

4:裏切り者は許さない

こーざのすとら:我らの城が直訳だけど、いわゆるマフィアを表す言葉

ファミリーと言われる由縁は、それぞれが絆で結ばれていることで、その絆はオメルタという沈黙の掟で結ばれている

暴力行為がどうかはともかく、一つの系統だった社会として、とても興味深いと思うわけです

さて、今週はドンシモジョウファミリーにとってもひと舞台なはず

笑顔で幕が引けるだろうか

その時に子どもたちに自分が何をどれだけ伝えられたか、考えるだろうか?

そして『もし』と考えるだろうか

『もし』を考えたとき、それは何に対する『もし』だろうか?

『もし、ここに』

『もし、あのとき』

それとも、『もし』なんて考えずに、これでよしとするのだろうか?

こーざのすとら、我らが一家

笛吹き男以上に君たちが、

子どもたちの笑顔の為に、いったい何ができるのだろう?

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ドンの信条

子どもに無理はさせたくない

どんな時も、子どもが笑っている保育園でありたい

子どもは、どんな時も先生にすがってくる

だから、子どもの方を向いていてあげたい

どんな時でも、差しのべてあげる手を用意しておいてあげたい

そのために十字架を背負う覚悟は、いつでも用意してある

そんな先生でありたい

子どもたちにいとわない犠牲も、鼠にくれてやるほど安くはないはずだ

そうだろ、三匹のめくら鼠のおじょうちゃん達

おいたがすぎるとしっぽをなくすよ

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でもにすと

ドンは宗教者ではありません

それどころか、世の宗教者に対して、それほど良い思いを持っていません

しかし『神』を信じていないかというと、そうでもありません

はじめ、私は絶対的な現実主義でした

物事はすべからく根源があり、それは正体を明かすことができる

それは、古代の数学者が魔方陣で宇宙を表せると思ったほどに根拠のない思い込みだったわけですが。。。

これを変えたのは『チョコレートの箱』です

いえ、ポワロではありません

ある日、ちょっと高級なチョコレートを食べようと箱に手を伸ばし、、、そして考えたのです

この中に、本当にチョコレートがあるだろうか

たとえば、その時、私が思った邪な思いによって、14個入っているのが12個になったりしないだろうか

見えていないから、もともといくつとかいうものもなく、明けた後の結果だけが自分を納得させるものになるけど。。。

たとえば、コンピュータのプログラムみたいに、

『Aと思えば10個』『Bと思えば12個』のような変動があるのではないか。。。

何にしても、見えていないから、わからない。。。

こう思ったのは小学生最後の冬でした

とはいえ、それをどこぞの怪しい神様やゴブリンの仕業とは思いません

しかし、私はここで古代アニミズムからほとんど進化しない考えに支配されるようになりました

自分の手の届かない何かに対する畏怖に憑かれたわけです

神頼みという言葉があるように、多くの宗教では対象物への信仰は、自分の幸福へつながる階段でもあります

しかし、私に憑いたモノは、そんな対象にはなりません

どちらかといえば、それを払うために、別の神への祈りが必要になったりするものかもしれません

しかし、根っからの天邪鬼なので、祈ったりもしません

普段、王様気取りで何でも思い通り過ごしているドンですが、ふと、心に現れるその『モノ』

それはプロスペロ公爵の大広間の大時計程には影を落としているわけです

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秋バラの失敗

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今年は本当に失敗した。。。

春先から仕事が忙しく、庭の面倒を見ることがあまりできなかったのもあるが。。。

今まで庭をやってきて、自分でも認めざるを得ない失敗の秋になった

花はそれぞれ、きれいに咲いているが。。。咲きそろいもなく、枝ぶりも悪く、病気も蔓延

殺伐とした庭になってしまった。。。

原因は、一つには病気をはじめとして、なすがままの状態で放置したこと

もう一つには餌を適切にやり損ねたこと

本来、この二つは、自然の状態ともいうべきなのであるが。。。

ドンの庭は、人工的にバラが寄せ集められており、今までが餌をあげた環境で、

病気には漢方薬を使った生活をしていたので、、、

この状態で、何もしないのは『自然です』とはいかないわけで。。。

本当に、庭を見るたびに、ため息が出てしまう。。。

本格的な冬までの間に葉っぱを残せるだけ残して、まっぽし君をあげて、

冬になったら、サラブレッド堆肥と腐葉土をしっかり施してあげて。。。

春には、みんなが、本来の顔で復活できるようにしておかなくては。。。

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ドン・シモジョウの保育の基本

これができれば、あなたもドン・シモジョウ・保育・ファミリー

1:基本は儒学。

2:悪者はすべからく滅すべし

3:一行二裏

4:戦術は戦略によってなる

5:順逆を知る

6:武器になるネタはとことん使う。出し惜しみしない。

7:子どもを通して親に働きかける

8:結果を見通せたら、手段を選ばない

9:結果を望むくらいなら、何もしないほうがマシ

10:仁智勇略信義の先生であれ。

何を偉そうに。。。って。。。まあ、そんなに言わないで。

あくまで、私的な。。。ってことで、スルーしてはいよ

なによりも。。。。

to be or not to be

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