さて、保育
さて、冬準備が整った庭では、後はすることがないので・・・
久しぶりに保育の話でもして見ましょうか。
新しい保育園に来て3ヶ月が過ぎようとしています。
前にも書いた・・・かどうだか。
『見守る保育』というものを実践している保育園です。
web検索すると、『見守る保育』の概要や今までの系統立ての経緯などはすぐに見つかると思います。
では、今の時点での私の解釈としてはこうです。
『保育者は少し子どもに手を貸しすぎで、結果子どもの成長、発達を阻害していたことがあった。ので、一歩引いて、子どもの能動的な動きや活動を尊重して、それに合わせて保育環境を整えましょう』
保育環境とは、活動の場所や遊具のほかに保育者、もしくは保育者からの働きかけも含まれると考えられます。
良くある解釈として、『見守る保育』って放任保育と紙一重というものがあります。
まあ、実践の方法で、そういう危ういところがある場合も多いようです。
子どもの自発性を伸ばすので、子どもの好きなようにさせている。。。
私には間違っているとはいえないのですが、私の解釈とはかなり差があります。
今の時点での私の極端な解釈では、『見守る保育』は完全な設定保育です。しかし、その設定は、直前の子どもの様子から立てられます。そしてその設定は保育者の意思としてではなく、子どもの能動的な活動として実施されることが理想だと思います。
では具体的に。
園庭で遊びます。
砂場を開放して砂場様の遊具が出されます。
子どもたちは砂場道具で遊び始めます。
誰かが砂山を作ります。
保育者が如雨露に水を持ってきます。中には山にかけて川を作ってみせる保育者もいるでしょう。
子どもたちの中に砂場+水の遊びが生まれます。
砂山を固めてトンネル、砂山に道を作って川を引き、川を砂場一杯に張り巡らせ、葉っぱを流す子が出てくるかも知れません。
砂+水で、誰かが砂団子を作ります。
保育者は砂場から離れ畑の土で泥団子を作って見せます。
もしかしたら子どもの興味は泥団子に移るかもしれません。
上の例は『遊び』の発達の、ごく一例です。もちろんそううまくいかないこともありますし、もっと早い展開があることもあります。
連綿と続く遊びの発達です。
もっとこだわれば、はじめの時点で砂場遊具は出しません。
砂を運んだり、砂を掘ったりすることに、手でチャレンジしても、その時点では不便とは感じないとは思います。
手で十分遊んだ後、道具を保育者が使って見せ、子どもが興味を持ったら渡す。
それもありでしょう。
上の例の中で遊具も、水も、泥も保育者の意図の下に提供されたものです。しかし、保育者は子どもの様子を見て適材を適時提供した形です。
つまり、子どもたちは必然的に遊びの発達があったのですが、保育者はその必然の発達をもう一回り大きな目で見ている必要があったということです。
放任保育と紙一重であれば、その紙は相当分厚いということになるでしょう。
あれあれ、でも、コレって、保育の基本じゃありません?
でもね、この基本。多くの保育所で、色々な理由で、実践できないことが多かったんです。
で、『見守る保育』という題目の元啓蒙されている。。。と、今の時点では、私は考えています。
実際の『見守る保育』には、子どもの能動性、主体性、その根幹となる情緒の安定・発達、集中力の養成を眼目に、遊具の選定、環境設定の具体論などが含まれるので、今の私の解釈がすべてではないのですが、その基本理念の解釈ということで書いてみました。
保育士に戻って、色々考えることはあるものの、毎日子どもの顔が見られることで、ちょっとうれしいドンなのです。
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